じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 写真の掲示にあるように、文法経キャンパス周辺では2月1日より喫煙指定場所が1箇所に縮小された。このほかカラス対策として、屋外のゴミ箱も一斉撤去された。

 なお、キャンパス内では相変わらず、歩きながらタバコを吸っている者を見かける。歩行喫煙者は、善良市民に毒ガスを吹きかけながら闊歩する有害怪獣であり、そういう者を目撃した時には、最大限の嫌悪と軽蔑のまなざしで睨みつけるようにしよう。


2月1日(月)



【小さな話題】

満月の無い月とブルームーン

 超多忙な1月であったが、歳をとったせいだろうか、あっという間に過ぎ去ってしまった感じだ。

 さて、今年の2月は珍しく、満月の無い月となる。今年の場合、1月に満月が2回あり(1日と30日)、朔望月が「29.27日から29.83日の幅があり、平均して29.530589日となっている(平均朔望月)」であることから次の満月は3月1日にずれ込む。また、これによって、3月にも2回の満月が含まれることになる。

 余談だが、「ひと月に2回の満月」がある時、2回目の満月のことを「ブルームーン」と呼ぶことがあるらしい。念のためウィキペディアの該当項目を調べたところ、
...本来、大気中の塵の影響により月が青く見えたことを「ブルームーン」と言っていたが、1946年に「Sky & Telescope」誌の誤解により、ひと月のうち2回目の満月を「ブルームーン」と呼ぶようになった。このとき、特に1回目の満月を「ファーストムーン」、2回目の満月を「ブルームーン」と呼ぶ場合がある。
 「ブルームーン」は、断定は出来ないものの、3年ないし5年に1度の周期で起こる。満月になった瞬間、さらに見える地域に限定されるので、それぞれの場所、国によって「ブルームーン」だったり、そうでなかったりする。...
という説明があった。

【思ったこと】
_a0201(月)[一般]無縁死、無縁社会、無縁生活

 1月31日放送のNHKスペシャル「無縁社会〜“無縁死” 3万2千人の衝撃〜」を視た。番組の内容は衝撃的であり、また、日頃、「面倒で煩わしい人付き合いを必要最小限にとどめることが生きがいだ」などと自分勝手なことを唱えている私自身の将来を暗示させる恐ろしさ、空しさがあった。もっとも、無縁生活が直ちに無縁死をもたらすわけではない。もう少し「無縁生活」のポジティブな面を伝えてもいいのではないかという気もした。

 番組ではいきなり、東京湾・お台場周辺で身元不明の水死体が発見されたという映像から始まり、さらには、引き取り者の居ない遺骨が宅配便(品名は「陶器1個」)で無縁墓地に送られる映像が流された。NHKが1783自治体すべてに調査したところ、おととし1年間で3万2000人もの無縁死埋葬があり、中でも単身者の死が多かったということであった。ちなみに、身元が掴めなかった死者は「行旅死亡人(こうりょしぼうにん)」と呼ばれ、官報に数行で公告されるという。

 番組では、
  • 現代の日本が「無縁社会」ともいえる絆を失ってしまった社会に変わっていること。
  • 「無縁社会」はかつて日本社会を紡いできた「地縁」「血縁」といった地域や家族・親類との絆を失っていったのに加え、終身雇用が壊れ、会社との絆であった「社縁」までが失われたことによって生み出されていること。
  • 「無縁社会」は日本人がある意味選択し、そして構造改革の結果生み出されてしまったものである。
というようなことが指摘された(一部、番組記録サイトから引用)。




 番組で紹介されていたような「無縁死」、特に、死後何日も経ってから独り住まい宅で発見されるというような最期は誰が見ても空しいものであるとは思う。しかし、だからといって「地縁」、「血縁」、「社縁」の復活で解決できるかどうかはまた別の問題であると思う。日常生活の支えとしては有縁(←本来の「有縁(うえん)」は仏の道に縁があることらしい)であっても、精神的には無縁世界に住んでいる人たちはいっぱい居る。

 そう言えば、昨年3月、「ひとりと一匹たち 多摩川 河川敷の物語」 という番組の感想を書いたことがあった。あそこに暮らす人たちの世界も無縁社会ではあるが、番組に登場した野宿生活者たちの「生きる力」には崇敬の念を抱かせるほどの凄さがあった。それぞれのご事情があり、ひとまとめにして意見を述べることは甚だ失礼になるかとは思うが、とにかく、「無縁社会はよくない。無縁社会に暮らす人々はかわいそうだ。なんとかして有縁社会を作らなければならない」という形で話をおさめるのではなくて、
無縁社会に生きる人たちもみな、それぞれ立派な生き方をしておられる。彼らからも生き方を学び、かつ、彼らが有縁を選択した時にはいつでもそれがかなえられるような、但し、無縁のままで生き続けたいときにはそのこともまた最大限に可能であるような社会を作っていかなければならない。
というようにもっていく必要もあるのではないかと感じた。