じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【思ったこと】 _a0227(土)[一般]オリンピックは、個人を応援するのか、国を応援するのか(11)競い合わないスポーツはありうるか? 昨日の日記にも述べたが、ひとくちにスポーツと言っても、自らが気晴らしや楽しむために行うスポーツと、観戦を前提として選手が競い合う場合がある。 後者は、いっぱんに「競技」と呼ばれる。『新明解』(第6版)によれば、これは (運動競技)おおぜいが一定の規則のもとに優劣を争うスポーツ。というように定義されており、オリンピック競技では「金銀銅」の各メダル、あるいは4位以下の一定順位までを「入賞」という形で相対評価することが最終目的となっている。 では、どのような競技でも必ず競い合うことが必要なのだろうか。これには少なくとも、
まず、1.は、走り幅跳び、棒高跳び、などのように、各選手の結果が物理的な指標で客観的に測定できるものをいう。この場合、出場した選手の間での競争が基本ではあるが、「世界記録更新」の場合は、出場した選手間ではなく、過去の記録保持者と競争をして勝ったということを意味している。 2.は、8選手の決勝でスピードを争うような競技のことであり、この場合、万が一ストップウォッチが壊れていても、肉眼で順位を確認できれば競技は十分に成立する。この場合、記録は二の次である。 3.は、相手と対戦することが絶対に必要であるようなスポーツ。例えば、大相撲の場合、それぞれの力士が一人ずつ土俵に上がって四股をふんだところで相撲にはならない。2名の力士が対戦してこそ競技が成り立つ。これは、ほかに格闘技一般、球技一般など多種多様である。 ちなみに、3.のタイプでは絶対評価が困難であるため、トーナメント戦やリーグ戦など、順位付けをするためのさまざまな方法が編み出されている。但しそれは、多くの場合、約束事にすぎず、本当の強さを公正に順位付けする方法とは言い難い場合も含まれる。例えば、A、B、C、Dという4選手の強さが、A>B>C>Dという優劣関係にあった場合、準決勝がAとB、およびCとDという組み合わせになれば、Cは本来は第三位の強さであっても、準優勝に輝く可能性がある。 最後の4.は、競技自体に質的な魅力がある場合で、直近の例で言えばフィギュアスケートなどがこれに含まれるように思う。今回のオリンピックでは、キム・ヨナが金メダル、浅田真央が銀、ジョアニー・ロシェット(カナダ)が銅、さらに長洲未来(米国)が4位、安藤美姫が5位、...というような結果になったが、メダル争いにこだわらなくても、フィギュア本来の魅力は十分に発揮できるのではないかと思う。芸術性をアピールできるスポーツは、それぞれの努力と演技の質を多様に評価すればよいのであって、審判が与える点数の差で順位づけすることで価値が決まるわけではあるまい。そういえば4年前にも、金メダリスト荒川静香選手から学んだことと、書いたことがあったなあ。 次回に続く。 |