じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 今年はネコ年(14)私の住んでいる地域でよく見かける猫たち。↓の記事参照。


5月15日(土)

【思ったこと】
_a0515(土)[一般]地域ネコの楽園はあるか?

 各種報道によれば5月13日、将棋の加藤一二三(ひふみ)九段に餌付けの中止と慰謝料など645万円の賠償を求めた訴訟で、東京地裁立川支部(市川正巳裁判長)は、餌付けの差し止めと3万6000〜30万円の支払いを命じる判決を言い渡した。

 訴状などによると、加藤氏は1993年ごろから、三鷹市内の2階建てテラスハウスの自宅玄関前や庭で野良猫への餌付けを始めた。集まる猫は一時期18匹にも達し、住民側はふん尿による悪臭やゴミの散乱などによる被害を受けたとしていた。いっぽう加藤氏は「屋外での餌付けは飼育でなく、仮にそうだとしても猫は迷惑な動物でない。被害はほとんどが事実無根だ」として請求の棄却を求め、全面的に争っていたという。

 この訴訟自体については現場がどういう状況であるのかを全く知らないので何もコメントできないが、私自身の住む地域でも、似たようなトラブルがあるという話は何度か聞いたことがある。一戸建て住宅でネコに餌をやっているという場合でさえ、隣家から玄関先に糞尿をして困るとか、柱をひっかく、庭の植物を囓るなどの苦情を受ける場合もあるという。

 私自身は、大のネコ好きであり、上の写真にもあるように、散歩中、いろいろなネコと出会うのが楽しくてたまらない人間であるが、地域ネコ、あるいは野良猫への接し方については、やはり、しっかりと考えておく必要があると思っている。

 その根本は、

地球上に住む動物は、家畜であれ、ペットであれ、野良猫であれ、野生動物であれ、すべて、殖えすぎないためのブレーキが無ければ種として存在し続けることができない。

ということにあるのではないかと思う。

 野生動物の場合は、食物連鎖によってうまくバランスがとれているし、仮に一時期、何らかの原因でバランスが崩れても、餓死や、過密による伝染病発生などによって、いずれはもとの食物連鎖を取り戻すようにうまくできているのである。

 いっぽう、家畜の場合は、生産物としての需要と供給のバランスにより数が調整される。

 飼い主の居ないネコたちの場合には、食物連鎖も、出産の統制も働かないため、餌を与え続けて居ればいずれはバランスが崩れてネコだらけになってしまって、結局はネコたち自身の不幸を招くことになるのである。

 ちなみにウィキペディアの当該項目では、「地域ネコ」は、
地域猫(ちいきねこ)とは、特定の所有者(飼い主)がいない猫で、かつその猫が住みつく地域の猫好きな複数の住民たちの協力によって世話され、管理されている猫のこと。

この中には、特定個人や不特定多数によって、ただ給餌されるだけの猫は含まれない。特定個人によってのみ給餌されるだけの猫は当該個人の飼い猫であり、特定個人に養われていない(管理責任を持つ者がいない)猫は野良猫である
というように定義されている。もちろんどんな地域にも、動物アレルギーの方や、何が何でもネコは嫌いだという方もおられるだろうから、ネコとの100%の共存共栄というのは難しいかもしれない。しかし、私自身は、ネコが一匹も出現しない町には住みたくないなあ。上の写真を見ていただければ、その気持ちを分かっていただけるのではないかと思う。