じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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2日目の昼食として、大会会場内で提供された茶粥。こちらのメニューと同一であるが、柿の葉寿司もついていた。 |
【思ったこと】 _a0525(火)[心理]2010年 人間・植物関係学会 10周年記念大会(3)細谷亮太氏の基調講演 昨日の続き。 基調講演(公開)の2番目は、細谷亮太(ほそや・りょうた)氏(聖路加国際病院小児科部長・副院長)によるいのちと自然に関する話題提供であった。 細谷氏は小児がんを専門とする小児科医として活躍されておられることに加えて、数々の御著書や、テレビ出演、さらに俳人としても広くしられている。 講演ではまず小児癌と成人癌との違い、最近の治療成績向上を示すグラフ、年齢階級別死因順位などのデータが紹介された。悪性新生物で亡くなる比率(厚労省平成18年)は、小児の年齢が1〜4歳、5歳〜9歳、10歳〜14歳という年齢階級にしたがって増加し、10歳から14歳のところでは第1位にランクされる。その後、15〜19歳、20〜24歳では3位に下がり、替わって不慮の事故や自殺が死因第一位となる。 こちらのインタビュー記事でも語られているが、細谷氏は、かつては子どもには優しいが高齢者には冷たいと言われていたそうだ。 僕は60歳になるまで、子どもが死ぬのは大変なことでも、80、90代の人が死ぬのは順番なので仕方がないと思っていました。父からは「おまえは冷たい」と言われていました。昨年あたりから、友達のような付き合いをしていた高齢の人が突然亡くなることが続き、何歳になっても死は大変なことなのだと実感して涙を流しました。ちなみに、同じ病院には高名な理事長・名誉院長がおられるが、あの方の場合は、逆に、「高齢者にはやさしいが子どもには冷たい」と言われていた時代があったとか。しかし、高名な理事長のほうも、85歳を過ぎたあたりから子どもたちにも優しくなったそうである。 講演の後半ではもっぱら、いのちや、植物との関わりに関する俳句が次々と紹介されていった。日常のごく当たり前の生活の中で突然であった感動的な瞬間を俳句にしたという作品が多かった。 講演の最後のほうでは、ヴェルアーランの「おお、燃え上がる朝に始まる美しき日よ」で始まる「よろこび」に続いて、阪神淡路大震災で家族を失った少年が創った「ありがとう」という詩が紹介された。この後者の詩の中で、ありがとうの対象となっているのは、ごくあたりまえの日常風景である「朝が来る空」、「すずめ」、「根っこのたくましそうな木」、「ゆっくり歩いている猫」などであった。我々は、平和で平穏な生活に慣れきってしまっていると、「ごく当たり前」の日常生活や、身の回りの出来事に無頓着となり退屈に感じるようになりがちである。しかし、その当たり前の日常こそが最も大切で感動的な世界なのである。この大切さは、事故や災害を体験したり、自身が病気に罹らないとなかなか実感できないものである。 私自身の場合は、日常の感動を俳句や和歌にあらわす能力はゼロに等しいが、胸のポケットにはいつもデジカメを入れていて、何かの感動があった時はすぐにシャッターを押すということが習慣化している。今のところはまだまだ、非日常的な世界にあこがれており、その一環として海外の山登りや辺境旅行に出かけたりしているが、いずれ歳をとって体が動かなくなってきた時にはきっと、日々の当たり前の生活が本日も続けられることを感謝し、そこに最高の価値を見出して生き続けようとすることになるであろうと思っている。 次回に続く。 |