じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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大学構内のお月見スポット

 9月25日の早朝に眺める月齢16.5の月。前景は旧事務局棟と石庭(一般教育棟構内)。

9月24日(金)

【思ったこと】
_a0924(金)日本心理学会第74回大会(5)Embodied Psychologyに向けて(3)「レスポンデラント反応」と「気感」

 話題提供の中盤でYH先生は「レスポンデラント反応」、「気感」というユニークなアイデアを披露された。

 ここでいう「レスポンデラント」というのは、スキナーの造語である「レスポンデント」と「オペラント」に由来するものであり、レスポンデントとオペラントの両方の性質を持っている反応として定義される。また「気感」は、「感覚(体)と気分(心)は区別ができない」という発想に基づくもので、気分と感覚を融合させた造語である。従来より気功訓練で使われている「気感」とは意味・用法が異なっている模様だが、私自身は気功のことは全く知らないので何とも言えない。

 YH氏によれば、「レスポンデラント反応」からさまざまな「気感」が生じる。具体例としては、
  • 呼吸反応というレスポンデラント反応から、「興奮−沈静」という気感
  • 筋反応というレスポンデラント反応から、「緊張−弛緩」という気感
  • 表情反応というレスポンデラント反応から、「快−不快」という気感
  • 発声反応というレスポンデラント反応から、「開放−閉鎖」という気感
  • 姿勢反応というレスポンデラント反応から、「覚醒−まどろみ」という気感
  • 歩行反応というレスポンデラント反応から、「活発−不活発」という気感
  • 対人接触反応というレスポンデラント反応から、「安心−不安」という気感
というようなことが導かれるという。ここで重要なことは、上記のような根源的な「気感」は「レスポンデラント反応」という動きがあって生じるということ。気感が先にあってそのあとから動きが生じたのではないということである。なお指定討論の中でも、筋反応や表情反応が「気感」に影響を及ぼすというような研究が紹介されていた。

 このお話を聞いた直後は、「レスポンデラント」や「気感」という妙な用語の妥当性についてあれこれ考えていたために気づかなかったが、いまこうしてまとめてみると、「動きがあって、そこから気分や感覚が生まれてくる」というアイデアについては、大いに納得できるものであった。実際、東洋的行法を取り入れた気感の制御では、反応を整えることから出発して、興奮や緊張や不安に対処することができるものと思う。




 もっとも「レスポンデラント反応」という概念を設けることが妥当かどうかについては、大いに議論があると思う。フロアからの発言機会が与えられた時にも私自身から発言させていただいたことであるが、オペラントとかレスポンデントは、行動(あるいは反応)を2つに分類するための概念ではなく、むしろ、行動がどういう随伴性で制御できるのかというところで最大の有用性を発揮する概念であると私は考えている。要するに、当該の行動(あるいは反応)が、刺激に誘発されることで制御されるのか(=レスポンデント)、行動(反応)の結果で制御されるのか(=オペラント)ということである。

 行動分析学の入門書などでは確かに、こういう行動はレスポンデントだ、こういう行動はオペラントだ、というような区別が記されているが、そもそも、行動とか反応というのは、明確な要素や単位があるものではない。細かく分けていけば1つ1つの筋反応や腺の活動になるし、広義に捉えれば、死体ではできないすべての活動ということになる。

 広義の行動は、実際には、何層もの入れ子(nest)構造をなす反応複合体となっている。どういうまとまりが1つの行動と見なすのかどうかは、けっきょく、いま何が議論されているのかという要請(ニーズ)によって異なるレベルとなってくる。例えば、環境問題を議論する時には、「自家用車を運転する」という行動の制御が問題となる。しかし、自動車教習所であれば、運転技術を構成するさまざまな要素的行動の分化強化、分化弱化に関心が向く。

 フロアからの発言の時に挙げさせていただいたが(←あまり良い例とは言えないが、大阪に来てから女性専用車両に間違えて乗りそうになったことがあったのでとっさに浮かんでしまった)、例えば、「電車内での痴漢」という行動は、車内に居た女性を見て興奮するというようなレスポンデント的要素と、女性の身体に触れるというオペラント的要素、さらに身体に触れて快感を得るというオペラント強化の要素を含んだ複合的な行動であり、おそらくレスポンデラントの一種ということになる。しかし、法律的に問題となるのは、それがいかにレスポンデント的な要素を多分に含んでいたとしても、最終的に痴漢行為が結果によってコントロールできるというオペラントである限りにおいては、あくまで刑法で罰せられる行為という側面である。いくら「無意識に手が出てしまいました」と弁解しても認められないだろう。いっぽう、隣に座っていた女性がいきなりお化粧を始め、その化粧品の刺激臭に誘発されて、女性に向かってくしゃみを吹きかけてしまったという場合は、それがいくら当該女性に不快感を与えたとしても罰せられることはあるまい。なぜなら、そのくしゃみは刺激によって誘発されたものであって、罰的には統制できないからである。

 要するに私が言いたかったことは、我々がふだん行動とか反応とか呼んでいるものは、日常生活上の利便性によって分類されたひとまとまりの反応の複合体のようなものであり、そのうちある部分はレスポンデント的に、またある部分はオペラント的に制御できる可能性がある。上掲の呼吸反応や姿勢反応などでもおそらく、レスポンデント随伴性とオペラント随伴性それぞれで制御できる要素が複合しているものと思われる。よって、総体として「レスポンデラント」と呼ぶことには異論はないが、行動をどう制御するのかという随伴性の観点から言えば、「レスポンデラント随伴性」というような第三の随伴性はあり得ないのではないか、ということであった。


次回に続く。