じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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「無細胞生命」と謎の旗。
9月29日の昼、創立50周年記念館の前に「無細胞生命科学研究会」という看板が立っていた。私の知る限りでは、生命はすべて細胞を持っており(ウイルスは除く)、「無細胞生命」なんてあるんだろうかとふと思いつつ通り過ぎた。ところが、夕刻に同じ場所を通ると、ロビーの入口付近に、日章旗と、何かの団体の旗が掲げられており、さらに生花の祭壇のようなものも見えていた。「無細胞生命」ってもしかすると霊魂か宇宙人のことで、ひょっとして、何かのカルト宗教団体が研究会を偽装して施設を借りているのではないかと疑ってみたが、帰宅後にネットで調べると、こちらにちゃんとした説明があり、 無細胞生命科学研究会は、無細胞タンパク質合成技術を基盤とした、生物学・化学・物理学などの基礎分野から産業などへの応用分野で研究しておられるさまざまな方面の研究者に交流・情報交換の場を提供することを目的としています。と解説されていた。しかし変だなあ、学術団体の大会の入口になんで旗や祭壇が設けられているのだろうかと不思議に思っていたが、30日の朝に同じ場所を通ってやっと謎が解けた。30日に行われる秋季卒業式に向けて、前日に準備をしていたらしい。ちなみに、宗教団体の旗のように見えたのは、岡山大学の校旗であった。 |
【小さな話題】 「ありがとう、手伝えなくて」は私だけではなかった 昨日の日記で、NHK朝ドラゲゲゲの女房の番組主題歌の「ありがとう」の歌詞の出だしが、 ●ありがとオー、手伝えなくって... だと思い込んでいたことを書いた。その後、Googleで「ありがとう 手伝えなくて」を検索してみるとなんと312万件がヒット。「手伝えなくて」と聞こえたのが私だけでなかったことがわかり、安心安心。 いくつか検索結果を辿ってみたところ、こちらの方が、なぜそのように聞こえるのかについて詳細な考察をしておられた。このほか、検索語を多少変えるといろいろな記事があった(ゲゲゲの女房以外の記事も多いが)。 以下、妻との会話
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【思ったこと】 _a0930(木)日本心理学会第74回大会(10)素朴弁証法と心理学的成果(2)中国伝統文化精神に影響されていると言うが... 昨日の続き。 まず、この講演のタイトルにも使われている「弁証法」という言葉であるが、学会論文集によれば、タイトルにある「弁証法」は、彭氏と二スベットの著書『Dialectrical thinking』(199年)に由来するということであった。私自身がこれまで理解していた弁証法とは必ずしも同一ではなく、社会・非社会的要素が「互いに矛盾を含む」、「表裏一体となって相互に連結している」、「常に変化している」というところで特徴づけられるようであった。そして、 弁証法的な視点を持つ人−主に東アジア文化圏に住み、儒教文化、道教文化、仏教文化に影響される人々は、矛盾を含む情報の調整課題においてより寛容である。そして、説明と予言に関する課題においては、変化に大きな期待を抱く(Peng et al, 2004)。...【中略】...これらの「素朴弁証法(naive dialecticism)」に関する研究は、文化心理学に従来の文化理論(例えば、集団主義;Triandis,1995;あるいは相互独立的自己:Markus & Kitayama, 1991)と異なるアプローチを提唱し、様々な心理学領域における文化差を説明する有力な説明ツールを提案している。ということを過去5年間の調査研究から検証していくことが、今回の講演の趣旨であると説明されていた。 上掲の趣旨に沿って、彭氏は、まず、ブルースリーの言葉「友よ水になれ(像水一様(←スライドでは、つくりは「羊」),我的朋友...」を引用して、中国人は水のようにというようなことを言われた。正確な内容は聞き取れなかったが、要するに、水のように、どのような器にも収まり、常に変化していくと言う意味ではないかと理解した。 次に、「中国伝統文化精神」として
ここまでのお話はたいへん興味深く、タメになる内容ではあったが、その後に紹介された調査研究の結果が、本当に、「中国伝統文化精神」の影響を受けたものであるのかについては特段の証拠は無く、少々失礼な言い方になるが、前半は東洋思想の先生の講義、後半の調査研究の紹介は社会心理学の先生の講義であって、直接関係が無さそうにも思えた。 それから、政治的な問題もあってなかなか言いにくいのかもしれないが、現代中国人、とりわけ、調査対象が北京大学生であるということであるならば、「伝統文化精神」以外にも、例えば、毛沢東思想の影響をどう受けていたのか、文化大革命とその後の経済発展、さらに経済発展の中で生じてきた様々な矛盾がどう影響しているのかについてもファクターに含めるべきではないか。少なくとも、古代思想の影響を説くのであれば、儒教・道教などの関連書をどれだけ読んだのか、子どもの頃から育った生活環境の中で、儒教・道教などの慣習がどのように伝承されていたのか、調査対象者がそれらの思想についてどのような評価をしているのかを独立して調べ、そのこととの相関をもって説明するべきではないかと思う。あるいはそういう調査は別に行われていて私が知らないだけかもしれないが、とにかく、今回の御講演の範囲だけでは、北京大学生を対象とした調査結果に「中国伝統文化精神」が反映しているかどうかについては、確信できる証拠が示されていなかったように感じた。 次回に続く。 |