じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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2010年版・岡山大学構内の紅葉(5)イチョウの黄葉三景

イチョウの黄葉が見頃となってきた。南北方向の並木のほうが、東西方向よりは早く黄葉する。写真は上から、
  • 南北通り
  • 農学部構内の東西通り
  • 農学部・薬学部校内の南北通り


11月4日(木)

【思ったこと】
_a1104(木)日本心理学会第74回大会(40)ことばと社会:心理学的アプローチの可能性と問題点(9)心の理解とコミュニケーション 認知語用論と発達心理学(1)

 3番目は、

●心の理解とコミュニケーション 認知語用論と発達心理学

という話題提供であった。

 話題提供ではまず、コミュニケーションと意図推論能力についての解説があった。日常会話をWeb掲示板やこのWeb日記のような独り言と比較してみれば分かるように、人間の会話が成り立つためには、聞き手が話し手の意図を推論によって理解することが不可欠である。そうした意図推論能力は、人間が生得的に持っている社会認知能力を基盤としつつも、より直接的には、2歳から4歳くらいまでの間に頻繁に会話に参加することによってはぐくまれるという。

 話題提供ではさらに、知り合ったばかりの(?)男女の会話の中で、「美味しいワインを飲ませる店がある」という男性側の発話に対する、ワイン大好きなんです」。「明日、朝早いんです」、「ワイン飲むとすぐ酔っちゃうんです」といった3通りの返事があり、いずれも意図推論能力によってコミュニケーションが成立するということが解説された。もしここで女性が「あっそう。でも、ワインなんて自家醸造するわけじゃないから、店によって味が違うことなんてないでしょう」と言えば、これは単に、ワインの味とそれを提供する店に関する議論をしているだけになる。しかし、異性間であれば、これは明らかに、男性が誘いをかけている場面であり、女性の返事は、その誘いを受けるかどうかという返事としての役割を果たしている。行動分析学の言葉で言えば、見かけ上はタクトであるが、実質的にはマンドとしての機能を果たしているということになる。

 こうしたコミュニケーション能力は言語能力の一部ではない。言語から独立した独自の原則や機能を持つ意図推論能力こそがコミュニケーション能力であり、それらは、言葉の意味と話し手の意図した意味のギャップを文脈を補って埋めることができる能力であるという。ただし、それらは時には誤解を生む。いつでも以心伝心というわけにはいかないというのが、この部分についてのまとめであった。

 ちょうど11月2日の日記

山岸俊男(2010). 文化への制度アプローチ. [石黒広昭・亀田達也(編). 文化と実践 心の本質的社会性を問う. 第1章 新曜社. pp.15-62.]

に言及したところであるが、今回の「意図推論能力」というのも結局は、ゲームプレーヤーとしての個人が身につけている「予想能力」の一部ではないかという印象を受けた。ちなみに、山岸氏の制度的アプローチでは、人々は社会の中で
...自分の行動が他の人々からどのような反応を引き起こすかを予想し、その予想した他者の反応が自分にとって望ましい結果をもたらすかどうかを判断して行動...【18頁】
というように振る舞う。であるからして、聞き手が話し手の意図を推論によって理解することが不可欠であるばかりでなく、話し手もまた、聞き手に意図が伝わるように、さまざまな伏線を張り巡らせ、相手に悟らせるような工夫をする必要がある。「意図推論能力」は双方向に磨き上げられるものと考えるべきではないだろうか。

次回に続く。