【思ったこと】 _b0816(火)2011年版・高齢者の心と行動(48) ダイバージョナルセラピーワーカー・フォーラム2011(11)理事長による基調講演(11)レジャーの役割(3)
昨日の日記に続いて、ウィキペディアの当該項目を引用しながら、「レジャー」の概要について、私なりの考えをまとめておくことにしたい。【緑色部分が引用、青字部分は私の考え。
- 【レジャーにおける資本主義と社会主義】レジャーにおける資本主義と社会主義資本主義社会ではアクティブレジャー活動は肯定的に捉えられる。アクティブレジャー活動の多くは時間と金を要する。このため、貧乏であってはおこなうことができないものも多い。資本主義社会では富を持った者はより大きなステータスと見られる。『なにもしない』というパッシブレジャータイプでもそれがバケーションという環境であれば時間と金を要するので、資本主義社会の観点からも肯定的に捉えられる。
一方、資本主義社会では、家にいて『なにもしない』人々はその所有している財産に関係なく『怠惰』であるとみなされる。富める人々がプールに寝そべって何もしないことでも、それが自宅であれば、やはり『怠惰』と見られる。ただし、活動のステータスレベル評価はこれとは別で、個人がどのくらいお金をかけられるかによって決まり、『自分の所有するプールで何もしない』ことはステータスが高く、『家で(ケーブルテレビではない普通の)テレビをみていること』はそうではないと一般的には評価される。【以下略】
この部分の記述では、資本主義と社会主義が対比されているが、その後の世界情勢の変化により、純然たる社会主義国家は、地球上には存在しないか、もしくは、一部の国家において部分的に導入されているだけとなってしまった。むしろ、各国におけるレジャーの実態は、国と国のあいだの貧富の差、同一国家内における個人間の格差によって多種多様となってしまった。
上掲にもあるが、一般論として、資本主義社会では、お金を使うレジャーが推奨される。お金を使うことは、それを受け取る人々、具体的にはレジャー産業、関連企業、さらには地場産業などを活性化することにつながる。また、そういうレジャーを実現させるためには、自らも働いて、他者にサービスを提供しなければならない。その分、互助互酬の機会が増えることになるだろう。
もっとも、このことは、決して、レジャーの価値を決めるものではない。レジャーの中には、身近な自然を観察したり、星を眺めたり、図書館で読書にふけるというように、殆どお金を使わないものもある。商業主義に流されない分、そういうレジャーのほうが主体的、能動的に関われるという面はあると思う。
- 【もうひとつの自由時間】
英語では余暇に相当する別の言い方として spare-time という表現もある。leisureはフランス由来。フランス由来のものはフランスから入ってきたノルマン人が持ち込んだ英国での支配階級用語、言い換えれば公的な用語として英国内に普及していったもの。これは日本語で言えば中国から取り入れた漢字音読み相当といえる。一方、spare-timeはそれ以前にブリテン島に住んでいた(その多くはケルト人やゲルマン系アングロ人やサクソン人のようにノルマン人以前より大陸から移り住んでいた)人々のものであり、ノルマン時代には庶民となったそれらの人々の言葉といえる。日本語では和語もしくは訓読み相当といってもよい。leisureが余暇で、spare-timeを暇な時間と訳すと、本来意味はどちらも自由時間のことであるが、余暇は計画的に有意義に過ごしたいものであるのに対し、暇な時間というと、余暇の中でも、それでも余ってしまった何をしたらいいか迷ってしまうような時間というニュアンスをもつようになる。これは余暇という言葉が多くは公的な文脈で使われ、公的なものでは何かしら建設的創造的な文章として提示されることがほとんどであるからである。その中間に位置する日本語として、『休み』や『休み時間』がある。leisureの本来的な意味としては、日本語では『休み』や『休み時間』が同等のニュアンスをもつであろう。
上掲の記述にも見られるように、外国語、カタカナ語、日本語(和語、漢字熟語、翻訳者の造語...)による微妙なニュアンスや用法の違いには十分に注意する必要がある。ヨーロッパ、とりわけ北欧では、冬と夏の日照時間や気温が著しく異なり、暗い冬に家の中で過ごす時と、白夜に近い真夏に、屋外で何をできるのかはまるで異なる。このほか、農耕民族の場合は、田畑の管理や収穫に忙しい時期と、収穫が終わった後に副業に取り組む時期では、やはり毎日の過ごし方が異なる。
余談だが、学校の「夏休み」というのは、言葉の上では「授業が休みになる期間」であるが、実際には、夏休みならではの課題、臨海・林間学校などがある。そう言えば、昨日のニュース番組で、帰省から戻ってきた男の子に「夏休みの残りはどのように過ごしたいですか」とインタビューしている場面が流れていた。その子が「ダラダラと、...」と答えると、横から親のゴツンが飛んできて面白かった。現実には、特別の目標を設けて夏休みを有効に活用する子どもはそんなに多くはない。単にダラダラ過ごすか、もしくは、親が押しつけたサマースクールのようなところで、受け身的に何かを身につけるだけに終わってしまうことが多い。
次回に続く。
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