じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 耐震補強工事が進む文学部。建物外壁には、人が通れる程度の突起部分がありエアコン設置などに利用されていたが、今回の工事ではこれをドリルで破砕し、新たに取り付ける鉄筋で補強するものと思われる。建物内部の壁も撤去されており、廃墟のようになっている。素人目には建て直したほうが安上がりであるようにも見えるのだが...。

 なお、手前(写真右端)は、来年度の工事予定エリアとなっており現在も研究室として利用されているが、相当の騒音と振動に悩まされているものと拝察される。

11月17日(木)

【思ったこと】
_b1117(木)日常行動改善計画へのヒント(2)ウォーキングの習慣づけ

 昨日の続き。

 受講生から挙げられた「なかなか始められない、長続きしない」行動として

●週に2回以上ウォーキングしたい

という事例があった。

 このケースでは、まず、何のためにウォーキングに出かけるのか、目的を明確にする必要がある。単線的な強化の枠組だけで考えると、ウォーキングという行動に対して好子(やりたいことと交換できるポイント付与、他者からの称賛など)を随伴させればそれで強化されるであろうと安易に考えてしまうが、私自身はもっと、目的論的行動主義の視点が必要であろうと考えている。例えば、体脂肪を減らす目的であるならば、その目的に有効な他の手段(食事内容や量の改善、スポーツ、間食とりやめ)などとセットにして、相互に連携させながら複合的に強化する方法を考えるべきである。ウォーキングには、これ以外にも、規則的生活リズムの獲得、しっかりした睡眠、食欲増進、山登りに必要な基礎体力保持、などさまざまな目的が考えられるが、それぞれに応じて、時間、コース(平坦な道か、坂道主体か)、歩くスピードを設定しなければならない。

 次に、これは行動分析学的としてきわめて重要な視点であるが、行動を強化するかしないかは、あくまで、そのプロセスに対して行われなければならない。ダイエット目的のために期待された成果が得られなかったとしても、ウォーキングしたという行動はきっちりと強化されなければならない。結果オーライであってはダメなのである。

 第3に、上記の事例では、「週に2回以上」と述べられていたが、平日も含めて遂行したいと望むのであれば、最初から、毎日同じ時間に規則的に行うほうが習慣づけされやすいように思う。回数を少しずつ増やすというテクニックは基準変化法と呼ばれているように行動分析学の基本的な手法の1つではあるのだが、週2回より3回、週3回より4回、...というのは必ずしも難易度を上げたことにはならない。遂行する日としない日が飛び飛びに設定されるよりは、毎日、同じ時間に同じことをしたほうが遙かに易しいのである。もちろん、仕事上の必要で、特定の曜日しか時間がとれない時は、それに合わせて回数を固定すればよい。

 第4に、毎回の遂行は、単線的に(1回ごと個別に)強化するのではなく、累積的な結果も可視化しておいたほうが、プラスαの好子が付加されて、より効果的となる。例えば、毎回2km歩くことを強化するよりは、東海道五十三次になぞらえて今日はどこまで到達したのかという形で強化したほうが、行動の継続には有効である。あるいは、100万歩目標とか、100回連続記念というように、キリのよい累積達成を強化することも有効であろう。

 第5に、どうせウォーキングするならば、周辺の景色が美しいコースを選んだほうがよい。草花が好きな方であれば、公園の花壇や、ご近所の庭先の花が楽しめるコースを通るようにする。日の出や日の入り、近くの山、野鳥、地域ネコ出現なども有効な好子となる。またそれによって、最も適した時間帯の設定が変わってくる(夕食後であれば夜空、花壇であれば昼間...)。

 第6に、自分一人で遂行できない場合は、家族や犬と一緒に歩くというように、他者と習慣を共有したほうが守りやすくなる。

 昨日も述べたが、「同じ時間に同じことをする」という規則性は、その中でも特に重要であると思う。私自身、毎日、早朝と夕食後に大学構内に散歩に出かけているが、早朝の散歩時にすれ違う人たちは、別に時計を見ながら待ち合わせをしているわけでもないのに、いつも同じ通過地点で挨拶を交わす。これはおそらく、それぞれの人たちが、テレビ番組の放送時間に合わせて出かける支度をして、番組終了と同時に散歩に出かけるといった行動をとっておられるためではないかと思う。早朝の散歩ですれ違う人たちの顔ぶれは過去10年以上にわたって殆ど変わらないこと、その日に初めてすれ違う人が殆ど皆無であるということからみて、けっきょく、規則的に時間を定めてウォーキングをしている人だけが淘汰されて、今なおそれを続けていると考えるのが妥当ではないかと考えられる。

 次回に続く。