じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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柿のなる岡山大学。見ての通り。なお、柿は、渋柿と思われる。 |
【思ったこと】 _b1125(金)第4回日豪ダイバージョナルセラピーセミナー(5)緩和ケアとGood Death 昨日の続き。ケイトさんに続いて行われた芹澤・日本ダイバージョナルセラピー協会理事長の講演では、緩和ケアや「Good Death」の話題も取り上げられていた。QOLとは、単によりよく生きる(Well Being)だけでなく、よりよく死ぬ(Good Death)も含まれているという。 では、何が「Good Death」の条件なのかということになるが、配付資料では、
ダイバージョナルセラピー協会は宗教団体ではないので、「Good Death」と言っても、天国や地獄や六道輪廻といった死後の世界は想定していない。但し、当人が宗教的信念に基づいて人生の意味や達成や最後の願いを望んでいる場合は、当然、それに適合した祈りの環境が用意されることになるだろう。 私自身は、現時点では「Well Being」は追求しているが、「Good Death」までは考えが及ばない。自分自身や近親者が死に直面する状況に置かれた時にはもう少し真剣に考えるだろうが、今の時点では覚悟もできていないし、実感もわかない。 もっとも、11月15日の日記に「枯葉で作る私の人生のカタチ」として述べたように、 「臨終過程」は葉っぱではなくて、タンポポの綿帽子と茎で表現してある。これはそれまでの人生とはかなり異質であって、できれば短期間で終わりたいというのが本音でもある。そのようになってしまった時は、これまでとは全く違う生きざまになるが、その時はその時でまな板の上の鯉のような気分で、できることだけやればよい。その場が窮屈で不自由になったとしても、必ずしも「終わり悪ければすべて悪し」にはならないということだ。また、終わり方がどうあれ、それ以前の葉っぱの1枚1枚の価値が損なわれるものではないし高められるものでもない。という考えは持っている。とにかくそうなってしまった時にはもはや何かを悔やむこともなく、やり残して困ることもなく、その時の状況に応じて、なるようになればいいと考えている。しかしそうは言いつつも、上掲の1.〜9.ができる限り満たされることは確かであり、多くの人にも共通した願いではないかとは思っている。 なお、明日からは質的心理学会が始まるため、はなはだ不十分であるが、この連載はこれをもって打ち切りとさせていただく。 |