じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
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2011年版・岡山大学構内の紅葉(15)南北通りの落葉 冬型の気圧配置が強まり、岡山県岡山では12月9日の明け方には風速10m/s近い風が吹き荒れた。南北通りでは、アベマキ、クヌギなどが大量に葉を落とし歩道を埋め尽くしていたが、グッドジョブ支援センターのおかげで昼までには綺麗に掃き取られて、安全に通行できるようになった。 |
【思ったこと】 _b1209(金)日本質的心理学会第8回大会(14)「個性」の質的研究(13)関係の中における個のふるまい(4)心理学と社会学の違い 大橋氏の話題提供の最後のところでは「蛇足」として、心理学と社会学の違いが語られた。 大橋氏によれば、心理学と社会学は
しかし、これまでの心理学は、個体内部に個人の秩序(こころ?)を見出す方向、あるいは集団内における個人差の問題として捉える傾向があった。しかし、今回の検事による取り調べ事例や、サッカーのメタファーにも示されるように、個人の秩序は、他者との動的な関係の中においてこそ(サッカーで言えば、選手個人の秩序は、ゲームの中での役割や動き、連携)顕現されるというのが大橋氏の御主張であった【スライド画面および長谷川による補足】。 このWeb日記に何度か書いているが、私は、社会学というのがどういう学問なのか(どういう条件を満たせば社会学になるのか)ということが未だに理解できていない。(たとえば、2006年3月13日参照。) このほか、文化人類学者から聞いた話であるが、その方が社会学専門の研究者と一緒に海外のある村を訪れたところ、社会学者はまず、その村のリーダーは誰かとか、行政機関はどこにあるかということを尋ねていたという。文化人類学者のほうはそういうことには興味が無い、それが文化人類学と社会学の違いだと言われて納得したこともあった。Yahoo!知恵袋の似たような質問が乗せられており、 そこでは 社会学の究極的関心は、研究者の生きる現代社会にあります。というのがベストアンサーに選ばれているが、このように単純化してよいかどうかもよく分からない。 ま、それはそれとして、心理学が探究している「個人の秩序」は、「他者との動的な関係の中においてこそ顕現される」というのはまことにその通りであると思う。もっとも、昨日も述べたように、行動分析学ではそういう視点は当たり前であって、何か新しいことを求められているというような印象は無かった。昨日の繰り返しになるが、行動分析学的な発想であれば、
次回に続く。 |