じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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耐震改修工事(ひょっとして解体工事???)が進む文学部。外見上は2週間前と変わっていないように見えるが、相変わらずドリルの音が響いている。これだけ崩してしまうなら建て替えたほうが合理的であるように見えるが、耐震補強目的でないと予算がつかないし、また建て替えとなると、埋蔵文化財調査が義務づけられているので数年の年月がかかってしまう。

12月21日(水)

【思ったこと】
_b1221(水)日本質的心理学会第8回大会(26)農と食と心理学(3)自主保育活動にみる子どもの食体験と農的くらし

 昨日の続き。

 2番目の話題提供は、菅野氏による

●自主保育活動にみる子どもの食体験と農的くらし

という話題提供であった。ちなみに自主保育というのは、1970年代に東京・渋谷で始まり、1980年代に拡大・活発化した保育活動であり、特徴としては、
  • 親が交代で保育を行う預け合い
  • 乳幼児〜就学前の異年齢保育
  • 園庭園舎はなく、野外での自由遊び
  • 一人一人が責任をもつ自主運営
といった点に特色があるという。今回紹介された事例は「里山自主保育」というスタイルであり、その背景としては、
  • 都市化、住居の郊外化によるコミュニティの変化
  • 早期教育への疑問
  • 外遊びを失った子どもの成長への危惧
があり、ひとびとの暮らしが農の世界から切り離されたことをふまえ、オルタナティブな保育として、農的くらしをとりいれた自主保育を作り出して行こうという趣旨であったようだ。

 ちなみに、私が住んでいる地域では、幼稚園入園前の乳幼児とそのお母さんが集まる小規模なサークルはあったようだが、自主保育の活動があるという話は耳にしたことが無かった。幼稚園入園後の子どもたちの付き合い、親同士の付き合いが中心であったように思う。

 上記の自主保育の特徴については大いに賛同できるところもあるが、義務教育以降のことを考えると、経験豊かな保育士や幼稚園教員による保育はやはり必要であるようにも思える。休日を利用した活動としては大いに意義深いとは言えるだろうが...。

 今回の話題提供では、地主さんの畑の一部を借りた畑活動や、隔週土曜日に行う「オヤジ保育」などの複数の事例が紹介された。多少気になったのは、子どもたちの関心は美味しいかどうかよりも、「食べられるか食べられないか」にあり、大人に質問することもあれば、他の子どもの行動に触発されて口にしてみるというケースもあった。危険な毒草は別として、渋柿か甘柿かといった判断であれば、子どもたちの直接体験にゆだねたほうがよいようにも思った。また、畑活動は「自然の恵みをいただく」体験として意味がある。畑で育てている作物はお金を出して買えるものではなく、自分たちにはコントロールできない「流れ」(←待つということか)、「限り」(←収穫量が限られているということか)、でき不出来があるということ体験できるという意義が指摘された。このほか、仲間との協力や、地域のひととのつながり、などの意義も指摘されていた。

 この話題提供は、そっくり、人間植物関係学会でも発表できそうな内容であった。いま上に述べたように、作物を育てる活動は、TVゲームなどと違って、「こういうふうにボタンを押せばモンスターを倒せる」といったマニュアル通りには進まないし、かつ、結果が遅延することで「待つ」ことが必要となる。行動分析学的に言えば、直後に結果が随伴することは少ないが、それゆえに、収穫に至まで活動を持続させるための様々な仕掛けが必要であり、楽しみも倍増する。


次回に続く。