じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 一般教育棟C棟とD棟の間の広場にあった看板等が大規模撤去された。写真上は6月8日、写真中が7月19日撮影の風景。撤去された看板は写真下のように廃棄され、7月22日朝の時点ですでに運び出されていた。6月上旬頃にバリケード看板の表示がデタラメであることなどを学内の意見投稿掲示板に書き込みをしたことがあったが、その指摘が通じたのであればまことに喜ばしいことである。 もっとも、「自転車は自転車」、「置場に置いてください」などの名物看板?も撤去されたのはちょっぴり寂しい。

7月22日(日)

【思ったこと】
_c0722(日)「おひとりさまの最期」講演会(13)トータル・ライフ・マネジメント

 7月20日の日記の続き。

 講演の終わりのところでは、在宅介護の当事者を中心とした、「トータル・ライフ・マネジメント」の支援の輪が提唱された。これは、従来型の支援の輪(ケアマネ、ヘルパー、医師、看護師、歯科医・歯科衛生士、理学療法士、親族・友人)に加えて、宗教家、葬儀業者、民生委員、社会福祉士、税理士・会計士、弁護士などを加えてものであり、単なる医療・生活支援だけでなく、生活資金や資産の管理、遺産対策、葬儀などについて総合的に支援するという態勢になっていた。

 こういう視点については私も大いに賛成できる。特に思うのは、医療中心の支援では「死」を話題にすることがタブー視される傾向があり、最期が近い状態の人に対してさえ、「早く良くなってね」、「大丈夫、また元気になるわよ」というように、少しでも長生きすることが絶対善であるように見なされていることである。もちろん、そのように元気づけられることを喜ぶお年寄りもおられるとは思うが、私などがそういう状況に置かれたら、まもなく死ぬことが分かっているのに嘘ばかり言いやがってと腹を立て不信感を募らせるだけになるかもしれない。私は基本的に離脱理論を良しとしているのでそう思うのかもしれないが、とにかく、安らかな最期を迎えるためにはしっかりした死生観が不可欠であるという考えの人は少なくないように思う。しかし現実には、ケアの現場に宗教を持ち込むこと、あるいは「よりよい死に方」について語り合うことはタブー視されているような印象を受ける。

 いずれにせよ、「トータル・ライフ・マネジメント」の課題は、1人の当事者に対して、支援の輪に加わる人がどれだけの時間を提供できるのか、また仕事としてサポートする人たちの給料をどう確保するのかということにあるように思う。持ち家などある程度の資産がある人ならリバースモーゲッジの活用でなんとかなるかもしれないが、すべての人の権利として100%の実現を目ざすにはかなりの困難があるようにも思う。そう言えば、今回の講演の中でも、末期がんのおひとりさま女性を友人の輪が支えたという話題が紹介されていたが、その方が亡くなったのは50歳代後半であったとか。そのくらいの年齢であれば、現役バリバリの友人たちによって介護、資産管理、葬儀などの支援を受けることは十分可能であろうが、当事者が90歳を超えるようになれば、支援をしてくれるような友人はきわめて限られてくる。ということで、理想は理想として現実に「トータル・ライフ・マネジメント」本当に大丈夫なの?という気がしないわけでもない。


 次回に続く。