じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



08月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
§§
 文学部耐震改修工事の二期工事(建物の東半分)がまもなく開始される。8月7日(火)には、LL教室の備品がすべて運び出された。8月8日(水)は、事務の中枢部分(教務、庶務、会計)の引っ越し作業が行われると聞いている。

8月7日(火)

【思ったこと】
_c0807(火)TEDで学ぶ心理学(4)Sheena Iyengar: The art of choosing.選択の科学(3)自分で選択するのが当たり前、という思い込み

 アイエンガー先生の

●Sheena Iyengar: The art of choosing.(2010年7月)

の連載3回目。

 昨日ツッコミを入れさせていただいたように、プレゼン冒頭に「砂糖入り緑茶」のエピソードには若干の疑問が残る。要するに、格式のある和食レストランで抹茶を飲むという場は、自由な選択が売りのバーガーキングやスタバでの自由チョイスの場面とは異なる。これは西洋と東洋の違いであるとは必ずしも言えない。フランスの高級レストランで、特製ソースの代わりに醤油を出せといっても受け入れられないだろう。いっぽう、日本でも、ホテルのバイキング形式の料理や、回転寿司のように、選択肢がきわめて広い場面もある。「あいにく砂糖はございません」という応対のしかたには日本独自の気遣いがあるかもしれないが。

 ま、それはそれとして、アメリカ人が、自由で主体的な選択を大切にしていることは間違いない。しかし、この点について、アイエンガー先生は、そうした、自由選択至上主義的な風潮に対しては、
米国人は 選択術の頂点を 極めていると考えがち すべての人間は先天的に 選択肢を求めるものだと― 米国人は思っています。残念ながらそれは思い込みであり、異なる国や文化では当てはまらないこともあります。米国においてですら 時には当てはまりません。
として、アメリカ人にありがちな以下の3点を指摘している。
  1. 自分で選択するのが当たり前、という思い込み。
  2. 選択肢は多いほうが良い、という思い込み。
  3. どんなに重大で責任を伴う選択であっても、選択を放棄してはならないという信念。

 このうち1.については、7〜9歳のアジア系米国人(←日本人街なので、おそらく日本系米国人)と白人系米国人の子どもについての実験結果が分かりやすく紹介されていた。実験ではアナグラムを解くという課題が与えられたが、回答の際に、どの色のマーカーペンを使うかについて、3群で異なる条件が設定されていた。すなわち、
  1. 自分で選ぶ
  2. 実験を取りしきっているスミスさんに選んで貰う
  3. 自分の母親に選んで貰う
その結果、白人系米国人の子どもは、「自分で選ぶ」という条件の群で解答量が最も多く、母親に選んで貰うのを嫌がった。反面、アジア系米国人の子どもは、母親に選んで貰った時に最もよい成績であったという。

 以上の結果について、アイエンガー先生は
彼らにとって 選択とは 個性の明示や主張の 手段だけでなく 信用し尊敬する人たちに 選択をゆだねることで 社会や調和を築く手段でもあります。“自分に正直に”という考えを持つとすれば おそらく 彼らの“自己”は 個人ではなく 集団的なものでしょう。大切な人を喜ばせることは 自分自身の望みを 満たすことに匹敵する。言葉を変えれば 個人の選択傾向は 特定の人の望みによって形成されている。

自分が下す決断が 最も正しいという思い込みが 成り立つのは 自己が明らかに 他者から隔てられているときのみ それに反して 何名かの選択と成果が 絡み合っている場合 共同体として選択することで 互いの達成感が 高まることがあります。 逆に 個人の選択に徹すれば 互いの能力や関係まで 損なう結果になりかねません。されど これが アメリカの模範。相互存存をほとんど認めず 人間の不完全性に対する 認識に欠けています。選択は 私的なもので 自ら定める行為だと見なされる。このような模範の中で育った人なら 刺激を感じるでしょう。でも 誰もがプレッシャーの中 一人で選択しながら 成長すると思うのは間違いです。
と解釈をしておられた。

 この実験結果では、確かに、白人系では「自分で選んだ時」、アジア系では「母親に選んで貰った時」に最も成績が良くなっている。しかしこれはあくまで群間の相対比較であって、プレゼンで提示されたグラフを見てみると、「自分で選んだ時」の成績は、白人系でもアジア系でもそれほど差が無いようにも見える。但し、母親に選んで貰った時には、アジア系がすべての条件の中で最も良い成績となり、白人系は「スミスさんに選んで貰った時」と同程度で最も低い。であるからして、ここでは、アジア系で、お母さんを喜ばすために頑張るとう動機づけが強く働いていることは間違いないが、上掲のアイエンガー先生の解釈が唯一妥当であるかについてはさらに検討が必要であるように思った。

 このほか、調査対象の子どもが本当に「二世」なのか、この調査時期であれば三世や四世ではないのかという疑問、また、アジア系の子どものうち何%くらいが「母親に選んで貰った時」に好成績を残したのかという個体差の問題について疑問が残った。

 次回に続く。