じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



08月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る
§§
 文学部耐震改修の二期工事に備えた、事務の中枢の引っ越しが完了した。写真は、教務学生と会計の事務室内の、引っ越し前と引っ越し後の風景。

8月9日(木)

【思ったこと】
_c0809(木)目に見えない人と人との繋がり方を知る−原子価論から見る人間関係

 表記の研修会が学内で開催された。案内をいただいた時には、胡散臭いタイトルだなあという第一印象であったが、人付き合いを好まないお年寄りのQOL向上をテーマにした研究を行っているところでもあり、何か参考になる情報が得られるのではないかと期待しつつ会場に足を運んだ。

 さて、そもそも、なぜ原子価というメタファーを使うのかということであるが、今回の講演者が、この理論の提唱者であるメッド・ハフシ(Hafsi)先生の指導を受けていたというのが一番の理由であったようだ。ネットで検索すると、ハフシ先生の御著書は、日本国内で以下の4点がヒットした。さっそく、数冊を注文させていただいた。
  1. 目に見えない人と人の繋がりをはかる 原子価査定テスト(VAT)の手引き (ISBN:9784779504891) メッド・ハフシ ナカニシヤ出版 \2,730
  2. 絆」の精神分析 ビオンの原子価の概念から「原子価論」への旅路 (ISBN:9784779504082) メッド・ハフシ ナカニシヤ出版 \2,940
  3. 「愚かさ」の精神分析 ビオン的観点からグル−プの無意識を見つめて (ISBN:9784888488778) メッド・ハフシ ナカニシヤ出版 \2,625
  4. ビオンへの道標 (ISBN:9784888488167) メッド・ハフシ ナカニシヤ出版 \2,625
 ちなみに、ウィキペディアの当該項目では、原子価は、
原子価(げんしか)とはある原子が何個の他の原子と結合するかを表す数である。中学高校で化学を学習する初期、もしくは初心者に対して「"手"の数」と解説されるものである。
というように定義されている。要するに、単に類型的性格に分類するのではなく、それぞれの類型的性格に「手の数」を想定し、中核となる「活動的(支配的)」原子と、それに結合する3つの「補助的」原子によって「分子」のようなモデルをつくり、さらに、他者の「分子」との接し方や相性を論じるというようなモデルであると理解した。

 もっとも、今回の講演を拝聴した限りでは、上記ウィキペディアの「原子価」とは異なり、最初から4つの手を想定しており、講演の中で「原子価」と表現されているのはむしろ「原子」そのものではないかという気がした。講演時間が短かったせいもあるが、なぜ、原子あるいは原子価というメタファーが有用であるのか、例えば、「木、火、土、金、水」の五行思想のメタファーでもエエじゃないか、ダメだというならどこがダメなのか、というような点についてはよく分からなかった。

 それはそれとして、この原子価論では、原子価は、「個人が他者と結合(つながる)ための一定の無意識的かつ普遍的な人格特性である」と定義される。そして、原子価には以下の4つの性格(タイプ)があるという。
  1. 依存的原子価(D):人との共感のための機能
  2. 闘争原子価(F):自己防衛機能
  3. つがい原子価(P):異性を求める機能
  4. 逃避の原子価(FL)
このうち、どれが「活動的(支配的)原子価」となるのかは、「原子価査定テスト」というテストで判定される。今回は最初から選択肢が用意された簡易版を体験したが、オリジナルのテストは文章完成型となっていて、検査者がその記述内容を、否定的反応か肯定的反応か、さらにそれぞれにおいて、明白な言動か、曖昧な言動か、情動的な反応か、知性的な反応か、というように全8段階で評定し、合計点から判別するとのことであった。そして、合計点の最も高いものが「活動的原子価」となり、それ以外の3つが補助的原子価となって、その人の「分子」が構成されるようである。

 上掲の4つの原子価のネイミングは、「依存的」、「闘争」、「逃避」というように、あまり望ましくないような形容となっているが、実際には、例えば「依存」は「強い共感」や「他者に対する強い信頼感」をもたらすし、「闘争」は「強い達成要求」や「グループの凝集性」につながる。「逃避」も「冷静さ」や「葛藤回避」につながるようである。

 健常者では、「原子価」はプラスに機能するが、こころの悩みを持った人の場合は、
  • どんな原子価ともつながらない「過小の原子価」
  • 未分化の原子価(中核がはっきりしない)
  • 過度の原子価
といったいずれかの特徴がある。また、「依存」、「闘争」、「逃避」、「つがい」それぞれにおいても、マイナスの原子価と評定される場合がある。例えば、マイナス依存の原子価が中核にあると、「他者の理想化と貪欲的な期待と要求」、「他者の不在に対する耐性の欠如」、「他者との類似性の過度な重視」といった問題が生じる。そして、「自分はこんなに苦しいのに、相手は分かってくれない」といった反応が出てくるという。

 最後に、この理論は、
  1. 自己理解の促進
  2. 他者(上司、同僚、部下、先生、学生など)理解の一助
  3. 仕事内容・就職活動等への活用
といった形で活用される可能性があると結論された。

 以上が私が講演を拝聴した限りにおいて理解できた原子価理論の概要である。講演内容は大変興味深く、高齢者、とりわけ、施設入居高齢者間の良好な人間関係構築には役立ちそうな気もした。

 もっとも、数ある類型論ビッグファイブと比較して、この原子価理論がより有用であることを説得するには、もう少し多様なエビデンスや実践例を示す必要があるように思った。特に、大学の相談機関のような場では、そういう理論を採用するかどうかについては、機関として慎重な検討・評価が必要であるように思う。

 このほか、以下の3つの問題点を感じた。

 1つは、少なくとも簡易版では、「マイナスの原子価」は判別できない。記述式の正式版であればそれが可能ということではあったが、もともと問題を抱えて相談に来た人が相手であると、マイナスであろうという先入観に基づいて判断されてしまう恐れがあるように思う。

 2つめは、とにかく、「マイナスの原子価」を持つことが判明した時点で、どういう改善が提言できるのかという点である。「個人が他者と結合(つながる)ための一定の無意識的かつ普遍的な人格特性である」と定義されている以上、そう簡単に原子価を変えるわけにはいかない。けっきょく、具体的な行動場面で改善を図る必要が出てくるように思うが、それであるなら、行動療法的に十分に対応できるはずだ。

 3つめは、類型論にありがちな「中間型が無視されやすく、性格を固定的に考えやすい」という問題である。あまりにも固定的に「仕事内容・就職活動等への活用」をはかると、その人の可能性の芽を奪う恐れもあるのではないだろうか。