じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【思ったこと】 _c0815(水)TEDで学ぶ心理学(10)Sheena Iyengar: The art of choosing.選択の科学(9)まとめ アイエンガー先生のTEDでのプレゼン: Sheena Iyengar: The art of choosing.(2010年7月) についてのコメントの最終回。 さて、プレゼンの最後の部分では、以下のようなエッセイ等からの引用でしめくくられている(公式サイトのスクリプトによる。句読点は、長谷川による補足)。
ではなぜ、こうした内容に切り替えられたのか。私が思うには、心理学の研究は、文化的背景による差違を実証することはできても、そうしたエビデンスから、「こうしなさい」という規範科学的な提言、あるいは「こうしたほうがお得ですよ」といった提言は、原理的にできない。また、今回のプレゼンでは選択に関するアメリカ人の思い込みを取り上げていたため、聴衆(=アメリカ人)の中の「選択至上主義」的な考えをもつ人たちからの反発や批判が起こりかねない状況にあった。そこで、まずは、ジョーン・ディディオンのエッセイ―を引用して、選択の意義を称えて反発を和らげたあと、しかしその考えだけではうまくいかないこともあるし、万人共通の選択観があるわけではないというようなことを指摘したのではないかと思われる。 翻訳と選択と関係についての、プレゼン最後の部分は、 When it comes to choice, we have far more to gain than to lose by engaging in the many translations of the narratives. Instead of replacing one story with another, we can learn from and revel in the many versions that exist and the many that have yet to be written. No matter where we're from and what your narrative is, we all have a responsibility to open ourselves up to a wider array of what choice can do, and what it can represent. And this does not lead to a paralyzing moral relativism. Rather, it teaches us when and how to act. It brings us that much closer to realizing the full potential of choice, to inspiring the hope and achieving the freedom that choice promises but doesn't always deliver. If we learn to speak to one another, albeit through translation, then we can begin to see choice in all its strangeness, complexity and compelling beauty.というように締めくくられていたが、告白すると、私は、当初、音声のプレゼンを拝聴しただけでは、この部分が何を言っているのかさっぱり聞き取れなかった。スクリプトの英語原文と日本語訳を対照させながら読んでもイマイチ分からないところがあるが、私の乏しい国語読解力から推測するに、以下のようなことではないかと理解している。(←そのうち訂正するかもしれない。念のため。) 詩や物語の翻訳では、物語そのものを取り替えることはできないが、翻訳先の言語における言葉の選び方によって新たな創造をもたらすことができる。人生における過去の選択も同様で、過去にさかのぼって違う選択をすることはできない。しかし、どういう出来事を抜き出すか、あるいは、実際に選択した内容を、創造的な翻訳と同じように、いろいろな視点から捉え直してみると、自らの人生をより豊富に解釈できるし、これから先の行動決定にも有益な視点を獲得することができる。そういう意味で、いろいろな文化における選択の仕方を学ぶことには意義がある。 プレゼン終了後、司会者とアイエンガー先生の間で、目が見えないことに関するちょっとした会話が交わされた。アイエンガー先生が「バラに別の名を与えれば、花のイメージや香りまで 変わる」と指摘したように、我々が「違って見える」と思っている多くのものは、実は本質的には大した差ではなく、時には、ラベルだけで区別している場合があることには十分に留意する必要があるだろう。 なお、アイエンガー先生は、1年4ヶ月後に、 という別のプレゼンも行っている。こちらのほうについてのコメントは、近日中に連載を開始する予定である。 |