じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 8月15日夜、西空で、土星、火星、スピカ(おとめ座)が直線状に並ぶ様子を眺めることができた(写真上)。火星の動きが大きいため、3つの星が作る形は、直線になったり三角形になるなど、次々と変わっていく。

 写真下は、東の空、雲の合間からかろうじて見えた月齢27.7の月。8月16日には、水星が西方最大離角(21時4分)となり、しかも、月と接近(14時06分に3°33′)するということで、早朝の散歩を休んで。自宅から時々東の空を眺めていたが、残念ながら、月と水星を一緒に撮ることはできなかった。

8月15日(水)

【思ったこと】
_c0815(水)TEDで学ぶ心理学(10)Sheena Iyengar: The art of choosing.選択の科学(9)まとめ

 アイエンガー先生のTEDでのプレゼン:

Sheena Iyengar: The art of choosing.(2010年7月)

についてのコメントの最終回。

 さて、プレゼンの最後の部分では、以下のようなエッセイ等からの引用でしめくくられている(公式サイトのスクリプトによる。句読点は、長谷川による補足)。
  1. In her essay, "The White Album," Joan Didion writes, "We tell ourselves stories in order to live. We interpret what we see, select the most workable of the multiple choices. We live entirely by the imposition of a narrative line upon disparate images, by the idea with which we have learned to freeze the shifting phantasmagoria, which is our actual experience."
    ジョーン・ディディオンのエッセイ― 「60年代の過ぎた朝」から引用します。“人は生きるために 物語に意味づけをする。現実を分析し、多数の選択肢から最も有効なものを選ぶ。心に浮かぶ断片的な 回想イメージを 物語の筋書きにこじつけ 刻々と変わる情景を 意識的に静止させながら 我々は生きている”
  2. Robert Frost once said that, "It is poetry that is lost in translation." This suggests that whatever is beautiful and moving, whatever gives us a new way to see, cannot be communicated to those who speak a different language.
    ロバート・フロストの言葉 “詩は 翻訳の過程で失われた”。この言葉が示唆するのは どんなに美しく 感動的で 新しい見解をもたらす詩であろうが 他の言語を話す人には 伝わらない ということ。
  3. But Joseph Brodsky said that, "It is poetry that is gained in translation," suggesting that translation can be a creative, transformative act.
    反して、ヨシフ・ブロツキー曰く、“詩は 翻訳の過程で 向上したのだ”、翻訳とは 創造的で 影響力のある行為だと 示唆しています。
 これらの引用の直前までの話題が、アナグラムの実験、ソーダの種類、生命維持装置に関する悲痛な選択、というように、もっぱら心理学の実験や調査に基づく実証的議論であったため、エッセイや翻訳の話題に切り替えられた時には、少々、唐突な印象があった。

 ではなぜ、こうした内容に切り替えられたのか。私が思うには、心理学の研究は、文化的背景による差違を実証することはできても、そうしたエビデンスから、「こうしなさい」という規範科学的な提言、あるいは「こうしたほうがお得ですよ」といった提言は、原理的にできない。また、今回のプレゼンでは選択に関するアメリカ人の思い込みを取り上げていたため、聴衆(=アメリカ人)の中の「選択至上主義」的な考えをもつ人たちからの反発や批判が起こりかねない状況にあった。そこで、まずは、ジョーン・ディディオンのエッセイ―を引用して、選択の意義を称えて反発を和らげたあと、しかしその考えだけではうまくいかないこともあるし、万人共通の選択観があるわけではないというようなことを指摘したのではないかと思われる。

 翻訳と選択と関係についての、プレゼン最後の部分は、
When it comes to choice, we have far more to gain than to lose by engaging in the many translations of the narratives. Instead of replacing one story with another, we can learn from and revel in the many versions that exist and the many that have yet to be written. No matter where we're from and what your narrative is, we all have a responsibility to open ourselves up to a wider array of what choice can do, and what it can represent. And this does not lead to a paralyzing moral relativism. Rather, it teaches us when and how to act. It brings us that much closer to realizing the full potential of choice, to inspiring the hope and achieving the freedom that choice promises but doesn't always deliver. If we learn to speak to one another, albeit through translation, then we can begin to see choice in all its strangeness, complexity and compelling beauty.
選択に関して言えば 多くの物語の翻訳物に関わることで 失うものよりも 得るものが多いのです。物語を別のものに 取り替えるのではなく 既存する色んなバージョンや 今後書かれていくバージョンから 学び 楽しむことができるのです。どこで生まれようが 物語がなんであれ 選択が持つ― 幅広い可能性や 数多くの意味に 心を開ける責任が我々にはあります。この考えが モラル相対主義を 麻痺させることはありません。むしろ いつ どのように 行動すべきか 教えてくれます。選択がもつ可能性に 気づかせてくれます。希望を吹き込み 保証はあっても 必ずしも実現しない― 自由の獲得へと近づきます。たとえ 翻訳を通してでも 他者との交流を学べば 選択がいかに 奇妙で 複雑で 絶対的な美しさを持つか 分かるはずです。
というように締めくくられていたが、告白すると、私は、当初、音声のプレゼンを拝聴しただけでは、この部分が何を言っているのかさっぱり聞き取れなかった。スクリプトの英語原文と日本語訳を対照させながら読んでもイマイチ分からないところがあるが、私の乏しい国語読解力から推測するに、以下のようなことではないかと理解している。(←そのうち訂正するかもしれない。念のため。)
詩や物語の翻訳では、物語そのものを取り替えることはできないが、翻訳先の言語における言葉の選び方によって新たな創造をもたらすことができる。人生における過去の選択も同様で、過去にさかのぼって違う選択をすることはできない。しかし、どういう出来事を抜き出すか、あるいは、実際に選択した内容を、創造的な翻訳と同じように、いろいろな視点から捉え直してみると、自らの人生をより豊富に解釈できるし、これから先の行動決定にも有益な視点を獲得することができる。そういう意味で、いろいろな文化における選択の仕方を学ぶことには意義がある。


 プレゼン終了後、司会者とアイエンガー先生の間で、目が見えないことに関するちょっとした会話が交わされた。アイエンガー先生が「バラに別の名を与えれば、花のイメージや香りまで 変わる」と指摘したように、我々が「違って見える」と思っている多くのものは、実は本質的には大した差ではなく、時には、ラベルだけで区別している場合があることには十分に留意する必要があるだろう。

 なお、アイエンガー先生は、1年4ヶ月後に、

  • Sheena Iyengar: How to make choosing easier.

    という別のプレゼンも行っている。こちらのほうについてのコメントは、近日中に連載を開始する予定である。