【思ったこと】 130205(火)NHK朝ドラ「純と愛」で出現した「純愛熱中症」と「アンチ純愛症候群」(2)過去の朝ドラとの比較
昨日の日記で、「アンチ純愛症候群」という便宜的な呼称を使ったが、これを明確化するためには、まず、過去の朝ドラと比較しておく必要がある。もし、どのドラマに対しても同じような批判が寄せられているならば、「アンチ純愛症候群」ではなく、「アンチ朝ドラ症候群」と呼ぶべきであるからだ。
ということで、さっそくYahooの「みんなの感想」で、2010年以降の朝ドラのクチコミ数や評価を比較してみると、以下のようになった。(2013年2月5日夜時点、視聴率はウィキペディアによる。)
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- ゲゲゲの女房:クチコミ数754、1219人が見たい!、★★★★★評価97%、★評価1%、平均4.94点、視聴率18.6%
- てっぱん:クチコミ数28850、638人が見たい!、★★★★★評価33%、★評価57%、平均2.51点、視聴率17.2%
- おひさま:クチコミ数26043、28966人が見たい!、★★★★★評価38%、★評価46%、平均2.82点、視聴率18.8%
- カーネーション:クチコミ数56059、33850人が見たい!、★★★★★評価65%、★評価22%、平均3.87点、視聴率19.1%
- 梅ちゃん先生:クチコミ数47734、31470人が見たい!、★★★★★評価19%、★評価71%、平均1.94点、視聴率20.7%
- 【参考】純と愛:クチコミ数37388、15006人が見たい!、★★★★★評価44%、★評価41%、平均3.08点、視聴率【1月21日〜27日】18.4%
- 【参考】冬のソナタクチコミ数14、1654人が見たい!、★★★★★評価29%、★評価36%、平均3.00点
こうしてみると、「ゲゲゲの女房」以外は、評価平均点や★評価比率のいずれにおいても「純と愛」と同程度の値となっており、量的な指標を見る限りでは、「純と愛」だけが特異的に批判されているわけではないことが分かる。(←「ゲゲゲの女房」のみが高得点となっているのは、この放送時点ではまだこのサイトが開設されていないか存在が知られていなかったために、ごく少数のファンの肯定的な評価が圧倒したためではないかと推測される。)
もっとも、これについては、Yahooの「みんなの感想」参加者の声が必ずしも視聴者全体の声を反映していないという解釈もなりたつ。こういうサイトで意見を述べる人の中にはひとかどのドラマ通もおられる。そういう人たちは決してベタ誉めはしないので、どうしても辛口になる。また、一般論として、クチコミサイトというのは、批判的な声が集まりやすいという可能性もある(商品を紹介するためのヤラセのクチコミは全く別)。レストランへの投書でもそうだと思うが、料理にある程度満足している人は、よほど感動しない限り、「おたくの料理は美味しかった」というような投書はしない。何らかの不満をいだいた人が改善を求めてクレームをつけるのである。
さらに、これも一般論になるが、ネット上の評価サイトにおいて、
- ある程度のアクセスがあり、
- 匿名性が保証されており、
- 自分の行為が多少なりとも影響を及ぼし
- 投票などの何らかの競争がある
という場が設定されると、必ずといってよいほど、、内容を伴わない批判のための批判に終始する便乗的な批判・攻撃行為が行われるようになる点に留意する必要がある。では、なぜそういう行動が強化されるのか? 画一的な決めつけはするべきではないが、1つのケースとして(←あくまで1つの可能性であって、そういうことをする人たちすべてが該当すると言っているわけではない。念のため)、現実の人間関係で何らかの問題を抱えていたり、孤立していたり、能力があるのに(もしくは、能力があると自認しているのに)周囲から認めてもらえないという状況のもとでは、ネット上での批判攻撃が鬱憤を晴らす有効な手段になっている可能性がある。Yahooの「みんなの感想」に書き込めば、まずは人から注目してもらえるし、「X人がこの感想に票を入れています。」の得票が増えることで何らかの「連帯感」を味わえるわけだ。具体的にどの書き込みが便乗者だと決めつけることはできないが、ドラマの感想に関して言えば、ストーリーの展開とは無関係に「つまらない」、「不快だ」、「もううんざりだ」、「もう観るのをやめた」、「早く終わってほしい」、「放送中止にしろ」、あるいは脚本家や俳優への批判を(管理者に削除されても)執拗に書き込む行為があればこれに該当している可能性がある。いずれにせよ、これは、批判・攻撃行為それ自体が強化されているケースであって、「純と愛」以外の朝ドラに対しても過去に同じような批判をぶつけているに違いない。であるからして、こういうケースは「アンチ純愛症候群」には含めてはならない。
あくまで暫定的な仮定であるが、「アンチ純愛症候群」という呼称は、
- それ以前の朝ドラは楽しみに観ていたが
- 今回のドラマの「暗い展開」にショックを受け
- にもかかわらず、「イヤなら観なけければいいのに」と言われながらも視聴を止めることができず
- 毎日継続的に批判的な書き込みをつづける
という行為に絞られそうになってきた。今回の「純と愛」は、批判が多いわりに★★★★★も多く、少なくとも2月5日の時点では評価平均点も相対的に高く、視聴率もまあまあと言える。しかし、「見たい」人数15000人余りは過去3本のそれぞれ30000人前後の半分となっており、「楽しみに視る」以外に「辛いけれど、どうしても続きを視てしまう」視聴者がかなりの数にのぼっていることが示唆される。これがまさに「アンチ純愛症候群」の実体と言えるかもしれない。
「辛いけれど、どうしても続きを視てしまう」という人たちが、3月末になって、「辛かったが最後は良かった。こんなに感動したドラマは初めてだ」という高評価になれば成功、逆に「最後まで辛いばかりで何も得ることが無かった」という低評価で終わってしまったとすれば、少なくとも朝ドラ改革としては失敗ということになるだろう。
もっとも個人的には、「辛いけれど、どうしても続きを視てしまう」という低評価の人たちが今後、高評価に態度を変える可能性は少ないのではないかと思っている。というのは、人間、いったん物事をネガティブに捉えるようになってしまうと、今後起こるいろいろは出来事に対しても、ネガティブな側面ばかりに選択的に注目してしまう傾向があるからだ。対人印象評価でもそうだと思うが、「この人はイヤなヤツだ」といったん決めつけてしまうと、それから先も、その相手の悪い部分ばかりを見てしまうようになる。そうなると、本当はその人に良い面があってもフィルターを通さなくなる。このことで思ったが、ドラマの登場人物の場合も、未熟な子どもが大人に成長していくプロセスは描きやすいが、欠点の多い人間がいろいろな経験を経てそれを克服していく過程というのはなかなか描きにくいものである。なぜなら、ドラマの開始時点で欠点の多さを強調してしまうと、視聴者はその登場人物を嫌いになってしまい、いったん嫌いになると、その登場人物の悪い部分だけを選択的に見るようになってしまう恐れがあるからである。今回のドラマはまさにそういう現象をもたらしているとも言えよう。
次回に続く。
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