【思ったこと】 130213(水)NHK朝ドラ「純と愛」で出現した「純愛熱中症」と「アンチ純愛症候群」(10)一部の人たちにこのドラマが嫌われる理由
この連載を始めた2月4日の日記で、私の関心事は、
このドラマが、一部の人たちに、なぜこれほどまでに嫌われてしまったのか、また、通常は、「イヤなら視ない」だけで済むものを(←仮にNHKに文句があるとしてもNHKの意見箱に投書すればそれで済むものを)、なぜ、批判的クチコミを書き続けようとするのか?
という点にあると述べた。
今回はこのうち、「一部の人たちになぜこれほどまでに嫌われてしまったのか?」という部分について考えてみたいと思う。
その前にまず、「このドラマは嫌いだ」という意味について考えておくことにしたい。これに近い行動には次のようなタイプがあると考えられる。(【 】内は行動分析学の分類)。
- このドラマには関心がない。【無強化】
- このドラマは面白くないので視るのを止めた。【無強化、もしくは消去】
- このドラマは不快になるので(あるいは「腹がたつので」)他のチャンネルに切り替えた。【嫌子出現阻止の随伴性による強化。回避行動】
- このドラマは不快になるので(あるいは「腹がたつので」)、放送を中止させるため何らかの抗議行動を行った。【嫌子消失による強化。但し、抗議行動をしても直ちに放送中止になるわけではないので、これはあくまでルール支配行動。】
私が「アンチ純愛症候群」と名付けたのは、このうちの3.と4.のタイプであるが、3.と4.の違いが何によってもたらされるのかについては、今回はふれないが、別途考察する必要があると思っている。
ではどうして、「不快」あるいは「腹が立つ」ことになったのか。もし心理学の研究としてこれを分析するのであれば、該当者への面接調査、質問紙調査、行動観察などを綿密に行った上で原因を特定する必要があるが、そこまで取り組む余裕はない(←来年度の卒論研究として取り組むのであれば助言させていただくけれど)。以下に記すのは、クチコミ掲示板の書き込みなどを参考にしながらの推測に過ぎない点をお断りしておく。
- 毎朝、NHK総合にチャンネルを合わせたままで、「おはよう日本」→「朝ドラ」→「朝イチ」を視ながら穏やかな朝を過ごしてきたのに、このドラマが始まってから、怒鳴ったり、殴ったり、自殺未遂、人が死ぬシーンなどが出てきて、平和な生活が奪われてしまった。朝の静かなひとときにどこぞの政治団体の街宣車がやってきてがなり立てているような感じか。
- 伝統的な日本の家庭、家族の良さを否定している。
- 主人公2人がウザい、キモい。といった、生理的な拒否反応。これは、朝ドラ一般の既成のヒロイン像と著しく異なっているためと思われる。
- 他界したダンナは亭主関白でいつも怒鳴っていた。善行(純の父)が怒鳴っているシーンを視るとその時のことを思い出して辛い。
- 認知症高齢者を介護している方への配慮がない。
- これまでの朝ドラのスタイルを楽しんでいたのに、何の断りもなく、一方的にぶちこわされた。
- 単に「嫌いなドラマ」であれば視なくても済むが、その制作費用に自分の払った受信料が使われていることは許せない。
このほか、本人の口からは語られないものの、以下のような「深層」が嫌悪感をもたらしているという説もあった。
- (ドラマが始まった頃に強調されていた)登場人物の欠点は、視聴者自身あるいは視聴者の家族にも共通してみられるものであった。それらを酷く描かれると、自分たちがグッサリと責められているような気持ちになって不快。
- 視聴者自身の家族も、登場人物たちと同じような問題を抱えているが、うわべだけは何とか我慢して、微妙なバランスのもとで平穏な家庭生活を続けている。今回のドラマで、そのバランスが崩されるのが怖い。
他にもいろいろあるのだろうが、本日はここまでとさせていただく。
次回に続く。
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