【思ったこと】 130317(日)日本行動分析学会「熊野集会」(3)高齢者と共に生きる(3)
昨日の続き。
芹澤さんの話題提供の中で特に行動分析学と共通性があると思われたのは、以下のような点であった。それぞれの「→」以下は、私自身による行動分析学的解釈。
- 要介護の認定などでは、当事者の「何ができないか」という面ばかりが評価され、「何ができるか」、それも自立には直接関係のない特技にはほとんど目が向けられない。
→行動分析学では、できないことを列挙するのではなく、何ができるかを重視し、それをどうやって強化していくのかを考える。
- 【レジャーの定義】Leisure is living in relative freedom from the external compulsive forces of one’s culture and physical environment so as to be able to act from internally compelling love in ways which are personally pleasing, intuitively worthwhile and provide a basis for faith.
→レジャーの基本は「好子出現の随伴性」による強化にある。
- 【オーストラリアのあるナーシングホームの施設マネージャーの言葉】建物がどんなに立派でも護がどんなに完璧でもそこに住んでいる人が楽しくなければ何の意味もない。
スキナーの言葉にあるように、生きがいの基本は、結果として強化されるように行動することにある。そのためには、個々人に合った行動機会を提供すること、その行動が強化されるような環境を用意することが大切。
- その人が、よりよく、心地よく生きるために、意味のあることは、すべて“セラピー”となりうる。例えば、一人で新聞を読むことも、花を育てることも、その人の身体的、感情的、社会的、スピリチュアルによい影響をもたらすなら、それは“セラピー”といえる。
→行動自体に良い行動と悪い行動があるわけではない。個人にとってそれがどう強化されているかで、良くも悪くもなる。
- ダイバージョナルセラピストは、個々人が「自らの自尊心と自己実現を促進」するためのレジャーやレクリエーション活動を選択する機会を提供する。
→個々人が能動的に選択し活動できる機会を保障することの意義、
- 加齢、虚弱化によってコントロールが困難に/「できること」や「選択肢」が狭くなる/自分で選ぶ権利がなくなる→尊厳の喪失/DTは「個人のチョイス」を援助する
→行動機会とそれが強化される環境を重視
- 【DTとは】朝、目が覚めたときベッドから起き上がる理由を持てるように手助けすること。
→その人がその日のできること、その行動が強化されることを手助けする。
次回に続く。
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