じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 座主川に射し込む夕日(3月19日17時52分頃撮影)。春分の日の前日でもあり、東西に流れる座主川の川面に光の筋が伸びていた。


2013年03月20日(水)

【思ったこと】
130320(水)日本行動分析学会「熊野集会」(5)高齢者と共に生きる(5)

 3月18日の続き。

 順序が前後するが、話題提供の終わりのほうでは、ダイバージョナルセラピストの役割について紹介があった。
  1. ダイバージョナルセラピスト(DT)は、個々人が「自らの自尊心と自己実現を促進」するためのレジャーやレクリエーション活動を選択する機会を提供する。
  2. ダイバージョナルセラピスト(DT)は、レクリエーションプログラムを開発し、マネジメントするとき、個々のクライエントがそのプログラムを選択し決定できるように支援・促進する。
ここで重要な点は、特定のセラピーを施設入居者に画一的に実施するのではないということ、あくまで、当事者が選択したプログラムについて、個々人にあった支援をするということである。であるからして、例えば、園芸療法がダイバージョナルセラピーに含まれるかどうかは、一概には言えない。アセスメントが十分に行われた上で、ある人にとって園芸が意味のある活動であるということになれば、園芸療法はダイバージョナルセラピーになる。いっぽう、当事者へのアセスメントが行われておらず、単にその施設の方針として希望者を募って園芸活動を行っているだけであればダイバージョナルセラピーとは言い難い。これは、音楽療法でも、アニマルセラピーでも同様。要するに、「○○療法には認知症の進行を抑える効果がある」という一般性重視のエビデンスではなく、「この療法は、この人にとって有効である」という個別のアセスメントが大切であるということだ。このあたりは、単一事例研究を重んじる行動分析学の発想と共通しているようにも思える。

 芹澤さんの話題提供にもあったように、「一人で新聞を読むことも、花を育てることも、の人の身体的、感情的、社会的、スピリチュアルによい影響をもたらすなら、それは“セラピー”といえる。」というのがダイバージョナルセラピーの基本。よって、「一般的効果が検証されているから実施、検証されていないのはインチキだから実施しない」という画一的な適用は禁物。アセスメントを十分に実施した上で、他の人にとってはどうでもよいことかもしれないが、この人にとっては意味があるという行動が見つかれば、それを支えていくのがダイバージョナルセラピーの仕事ということになるのではないかと思う。

 もちろん、当事者が「こうしなければ絶対ダメだ」という固定観念に囚われていて、そのことによって健康を害していたり、ギャンブルに依存していたり、カルト宗教にマインドコントロールされていたり、悪徳商法から金を搾り取られているような場合は、もう少しクリティカルシンキングの目で、幅広く選択をしていただくようにオススメすることは必要かと思う。しかし、そういう例外を別にすれば、基本的には、当事者本位で、当事者にとって意味のある行動が強化されるように支援をするのがDTの重要な役割である。であるならば、その行動が適切に強化されていくようにサポートする上で、行動分析学の基本原理を学ぶことは必要不可欠ではないかというのが私の考えである。

 次回に続く。