じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 一般教育棟構内(津島東キャンパス)野球場横にあるハナモモと水仙。こちらに昨年4月5日の写真あり。なお、いちおう「ハナモモ」としているが紅梅の可能性もあり未確認。この場所の水仙の写真は、3月26日の楽天版にもあり。ここの水仙の花壇は、もともと園芸部が世話をしていたはずだが、その後活動を休止しているはず。ここの水仙の世話は誰が続けておられるのだろうか?


2013年03月28日(木)

【思ったこと】
130328(木)日本行動分析学会「熊野集会」(11)地域と共に生きる〜地域通貨〜(4)

 3月27日の日記でも述べたが、地域通貨には、制約つきで国家通貨と交換可能なタイプと、全く交換できないタイプがある。今回紹介された地域通貨はいずれも、地元商店街で商品と交換できるということであったので、前者のタイプであった。商店街は福祉や環境のコミュニティではなく、国家通貨と商品を交換する場であるからして、前者のタイプとなるのは必然とも言えよう。

 しかし、前者のタイプでは、他の商店街や近隣の大型ディスカウントストアとの競合を避けて通るわけにはいかない。交通の便や品揃え、アフターサービスなど種々の条件はあるが、基本的に200円相当の地域通貨が行動を強化する機能を発揮できるのは、それを使ったほうが安く買えるという一点に絞られる。例えば、地元商店街でトイレットペーパーのパックが1000円で売られていたとする。200円相当の地域通貨を使えば、この商品は800円で買えるのでお得となる。しかし、近隣のスーパーで同一商品が700円で売られていたとすると、そちらのほうがさらにお得であり、200円相当の地域通貨は好子(コウシ)としての効力を失う。

 いっぽう、「国家通貨と全く交換できない」という後者のタイプは、基本的に、お金では買うことのできないサービスの互恵、具体的には「地域社会で環境、介護、福祉、コミュニティーなどについて、新たに相互扶助的な人間関係を創造し、互恵のシステムを構築する媒介として活用」することを目ざすものである。

 エコマネーが提唱された頃からこれら2つのタイプは混在していたが、いずれも、一部の地域で一定期間存続しただけで終わってしまったように思う。

 前者のタイプでは、大手スーパーと地域商店街のどちらが、流通コスト削減、安定供給、品質維持などの点で消費者を呼び込めるのかにかかってしまう。もちろん、大手スーパーが常に有利というわけではなく、いろいろな付加的サービス(高齢者向けの注文配達サービス、訪問出張サービス、産直、街並み景観、...)により活性化に成功した商店街もあると聞いている。しかし、その場合には、地域通貨は必ずしも有用な手段にはなっていない。

 いっぽう、後者のタイプについては、地域コミュニティの中で、個々人が「提供できるサービス」と、個々人が「必要とするサービス」に齟齬があり、互酬関係がうまく構築できないといった問題が指摘されているようだ。要するに、サービスを提供できる人はたくさんの地域通貨を受け取るが、期限までにそれを使いたくても、求めるサービスが見当たらない、といった事情である。また、ボランティアベースでサービスを提供している限りは、どうしても、提供者自身の仕事や個人的な都合が優先してしまう恐れがある。さらに、私有財産制、近代資本主義経済のもとでは「まずは国家通貨」が原則、つまり、「お金が無ければ何もしてもらえない」、「お金さえあれば何でもしてもらえる」がまかり通っており、いくら善意や絆を大切にしても、衣食住や雇用や医療や介護の基本はお金(国家通貨)に頼らざるを得ないという事情もある。

次回に続く。