じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 農学部構内の自販機風景。休日で空き缶・ペットボトルの回収が行われていないため、自販機の横に大量の空き缶とペットボトルが積まれていた。これらを見ると、どのような飲み物がよく売れているのかがわかる。私自身は清涼飲料水は砂糖水という講演を拝聴していらい、さすがに、砂糖入り飲料は控えるようになった。唯一購入することがあるのは、「脂肪の吸収を抑える」を標榜した特保コーラ、もしくは「ただの炭酸水」。



2013年06月30日(日)

【思ったこと】
130630(日)岡大敷地内喫煙ゼロをめざす安全衛生委員活動その後(3)学生から寄せられた質問に答える(2)本気で怒らなければ喫煙行動は弱化されない

 昨日の日記にも記したように、私は、講義棟周辺で喫煙者を見つけると、満身の怒りを込めて「ここは禁煙です。直ちにタバコの火を消して、吸い殻は持ち帰りなさい。」と、周囲の人にも聞こえるように大声で怒鳴りつけることにしている。禁煙の看板の目の前で吸っているような学生に対しては、さらに、「この看板が見えないのかっ! 禁煙と書いてある場所でどうしてそれを無視するのか 人に見つからなければ悪いことをしてもいいとでも思っているのか。」などとまくし立てることもあるし、足元に吸い殻がたくさん落ちているような場合は「この吸い殻は誰が片付けてくれると思っているのだ。いま持っている吸い殻はいったいどうするつもりだったんだ?」などと責めることもある。学生にとって、大学構内で教員に本気で怒られるということは滅多にないだろう。このことは、何年か経って大学生活を振り返った時に、「いちばん嫌な思い出」になるかもしれないし、「あの時こっぴどく叱られたことがきっかけでタバコを止めることができた」と感謝してもらえるかもしれない。

 ここで、「本気で怒る」という時の「本気」であるが、私は、学生を叱りつける時には、こんなところでタバコを吸うことは本当に悪いことで断じて許せない、もし喫煙を中止しなければバケツの水をぶっかけてでも止めさせるぞ!という強い決意をもって、全身全霊で叱りつけるということを意味している。また、実際に測定したことはないが、叱りつけている時の私の心拍や血圧はかなり上昇し、相当程度のアドレナリンが分泌されているものと推測される。決して「怒り」を演じているのではない。私の形相や言葉遣いには、学生も殺気を感じているかもしれない。

 では、なぜそこまで怒りをあらわにしなければならないのか、もっとおだやかな口調で、「今度からここでは吸わないでね」とやさしく諭せばいいのではないか、という質問も少なからず出されている。しかし、私はそうは思わない。なぜなら、講義棟周辺などでの悪質な喫煙に対しては、可能な限り強力な嫌子を提示することが不可欠だと考えるからである。

 教職員の中には、「ホントは1本くらい吸ってもいいとは思うけれど、大学の方針でここは禁煙となっているから、ちゃんと守ってね」というように注意をする方もおられるようだ。しかしこれでは、「大学が決めたから従ってください」という事務的な対応をしているだけであって、嫌子としての効力は乏しい。これはちょうど、道路工事で片側通行規制がかかっている時の旗振りと同じようなものである。こういう場面では、誘導員の方が赤旗を振っている時には停車し、白旗に変わったら発進しなければならないが、そのさい赤旗が嫌子になって、車の運転を弱化するなどということは決して無い。なぜなら、旗の色が赤か白かというのは単なる弁別刺激にすぎず、罰的統制はどこにも含まれていないからである。同様に、「ここでは吸ってはいけません」という語りかけが、単に「ここは禁煙、あそこは指定喫煙場所」という情報を提供するだけの意味に過ぎないなら、何回「ここでは吸ってはいけません」と言われても、それは弁別学習を促進しているだけに終わってしまう。それではいつまでたっても、喫煙習慣のある学生を禁煙に誘導することはできない。大学敷地内を全面禁煙にするという方針は、単に、非喫煙者の健康を守るとか、吸い殻が転がっていない美しいキャンパスにしましょうというためだけで決定されたものではない。禁煙掲示を無視して平気で喫煙し、なおかつ足元に吸い殻を平気で捨てるというような不良学生は決して社会に送り出さない、という教育的配慮が含まれていると考える。これをめざしていくためには、多少の軋轢はあっても、強力な嫌子提示という形で、違反喫煙という敵と、本気で戦っていく姿勢が必要である。


 次回に続く。