じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
ウズベキスタンの空港近くにあったキリスト教会。中央アジア一帯の国はイスラム教の影響が大きいが、旧ソ連時代のロシアの影響もあり、たいがいの国では正教会系の教会が現存しているようだ。 |
【思ったこと】 130914(土)高齢者における選択のパラドックス〜「選択の技術」は高齢者にも通用するか?(19)選択と後悔(13)反事実思考(2) 昨日の日記で、反事実思考と後悔について書いたが、じつは私自身は、反事実思考と言われてもあまりピンと来ない人間である。というか、後悔をした記憶もない。 これはなぜだろうと考えてみたが、要するに私の場合、能動的な選択であれ、自分ではどうにもならない外圧であれ、あるいは偶然であれ、過去は過去、すでに起こってしまったことは変えることができないので、そんなことを考えるのはムダだ、くだらん、そんなヒマがあったらこれから先のことを考えろ、という捉え方で一貫してきたように思う。もちろん、思考実験として、「あの時、ああなっていれば、今はこうなっていたかもしれない」ということは多少は考えてみたことはあるが、けっきょく、「あの時ああなっていれば、今とは別の自分になっていただけで、それはそれで1つの人生、しかし、いまある自分も1つの人生、どちらが良いとか悪いとか評価しても意味は無い」という程度で片付けてしまう。このあたりの考えはケヤキの枝振りが象徴する進路の多様性(2012年12月17日)で述べたことがあった。 もっとも、シュワルツの第七章のあとのほうに書いてあるが、後悔することにも以下のようなメリットがある。
私自身の特徴のもう1つは、これから先のことについては、あれやこれやと思い巡らすことが多いという点である。といっても「先憂後楽」というような立派な心がけ:
次回に続く。 |