じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
【思ったこと】 _c1217(月)“叱りゼロ”社会はなぜ実現できないのか?(5)好子消失阻止の随伴性の特徴(2) 昨日の日記で、スキナーが
もっとも、どちらの随伴性も、働くという行動が好子を確保しているという点では変わりはない。しかし、随伴性ダイアグラムで比較してみると、2つの随伴性は、論理的に
つまり、働くということが好子出現によって強化されるための前提としては、働かなくても平穏、生活上何も困らないということが前提となる。しかし、現実社会でこれができるのは、年金生活者や大富豪が奉仕活動をしたり、自分の生きがいのためにちょっとした労働をするという場合に限られる。 大多数の人たちの場合は、まずは、生活を維持するために収入を確保することが必要であり、いったん雇用された後は、その収入を維持するために働き続けなければならない事態となるのである。このあたりに、賃金労働の本質がある。では、科学技術がさらに発達すれば、人は、働きたいときだけ働き、働きたくない時は遊んでいても楽に暮らしていけるようになるのだろうか? おそらく、そういう可能性は、少しずつ高められていくであろうが、どのように文明が進歩しても、義務的な労働をゼロにすることはおそらくできないであろう。なぜなら、少なくとも子どもの時と、歳をとって自立生活が困難になった時には、人はどうしても、他者からのサポートを無しには生きていかれなくなるからである。その場合、互助互酬や人類愛だけで事が運ぶのであれば別として、そうでない場合は、自分のために働いてもらう、というか、自分のために働かせる仕組みが必要になってくる。これがお金の本質を構成するのである。 次回に続く。 |