じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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ケヤキの枝振りが象徴する進路の多様性。

 12月初めに高校の同窓会が行われ、私は参加できなかったが、後日、その時の写真を送っていただいた。個人情報に関わるので具体的なことは何も書けないが、皆さん、活躍しているご様子であった。

 もっとも、そこに集まられた20数名は、必ずしも、それぞれの人の一本道の交差点というわけではない。それぞれの人において、任意の選択、失敗・挫折、偶然的要因による変更など様々な分岐点があり、何千通りもの可能性のうち、結果として進んだ1つが現在の姿であるということになる。仮にそれぞれの人が二者択一の選択を10回行ったとすると、その可能性は2の10乗で1024通り。20人が集まるということは、1024個の玉の入った壺が20個用意されていて、それぞれの壺から1個ずつ玉を取り出した時の組み合わせの数ということになる。

 写真は大学構内にある、葉の落ちたケヤキ。これを一人の人間の進路に喩えるならば、枝分かれがそれぞれの選択点であり、枝の先端が現在可能な姿を示している。言うまでもなく、実際に存在している私は枝の先っぽの写真のうちのどれか1つであって、それ以外は「もしあの時こうなっていたら」というパラレルワールドの世界の虚像にすぎない。


2012年12月17日(月)

【思ったこと】
_c1217(月)“叱りゼロ”社会はなぜ実現できないのか?(5)好子消失阻止の随伴性の特徴(2)

 昨日の日記で、スキナーが
  • 賃金という好子出現の随伴性によって強化されている場合
  • 解雇(好子消失)を阻止するために働き続けている場合
を区別しており、現実の産業労働では、後者の随伴性がはたらいていると指摘していると述べた。

もっとも、どちらの随伴性も、働くという行動が好子を確保しているという点では変わりはない。しかし、随伴性ダイアグラムで比較してみると、2つの随伴性は、論理的に
  • 【好子出現による強化】好子なし→働く→好子あり、好子なし→働かない→好子なし
  • 【好子消失阻止による強化】好子あり→働く→好子あり、好子あり→働かない→好子なし
という違いがあることが分かる。

 つまり、働くということが好子出現によって強化されるための前提としては、働かなくても平穏、生活上何も困らないということが前提となる。しかし、現実社会でこれができるのは、年金生活者や大富豪が奉仕活動をしたり、自分の生きがいのためにちょっとした労働をするという場合に限られる。

 大多数の人たちの場合は、まずは、生活を維持するために収入を確保することが必要であり、いったん雇用された後は、その収入を維持するために働き続けなければならない事態となるのである。このあたりに、賃金労働の本質がある。では、科学技術がさらに発達すれば、人は、働きたいときだけ働き、働きたくない時は遊んでいても楽に暮らしていけるようになるのだろうか? おそらく、そういう可能性は、少しずつ高められていくであろうが、どのように文明が進歩しても、義務的な労働をゼロにすることはおそらくできないであろう。なぜなら、少なくとも子どもの時と、歳をとって自立生活が困難になった時には、人はどうしても、他者からのサポートを無しには生きていかれなくなるからである。その場合、互助互酬や人類愛だけで事が運ぶのであれば別として、そうでない場合は、自分のために働いてもらう、というか、自分のために働かせる仕組みが必要になってくる。これがお金の本質を構成するのである。

次回に続く。