じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
2013年度版岡山大学構内の紅葉(10)農学部東西通りのイチョウ並木3景 農学部南側にあるイチョウ並木が見頃を迎えている。
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【思ったこと】 131126(火)個人主義的人生の必要条件(1) 昨日の日記で人と人との繋がりを大事にする仏教の話題を取り上げたが、別に信仰があってもなくても、他者との互恵を大切にし、社会のために尽くす人生を送るということはまことに結構なことだと思う。なぜなら、皆がそのような生き方を良しとして努力すれば、世の中は平和になり、貧富の差は解消し、困ったことがあっても周囲の助けで乗り越えていくことができる。何の不足も無い。また、そのような生き方をする限りは、自分のすべきことと、してはならないことがはっきりしており、深く考えなくても人様のお役に立つ仕事に従事することで幸せな人生を送ることができる。さらには、自分が死ぬことで失われる、努力の成果、知的資産、財産なども、その大部分は次の世代に「送る」ことができるので、喪失の虚しさや不安からも逃れることができる。 もっとも、人間という動物はもともと利己的な部分があり、自己の利益が増える行動は常に強化されやすい性質を持っている。それゆえ、理想的な社会にあってもなお身勝手に振る舞う人はいるであろうし、人や組織や社会のために尽くしたつもりが、じつは自分は単に利用されていただけであったことに気づき、人間不信に陥る人も出てくるだろう。また、いくら世のために尽くすいっても、尽くせる範囲はコミュニティの中に限られており、そのコミュニティに役立つ行動をすることが、世界のすべてにも役立つという保証は全く無い。例えば、戦争で国のために命を捧げる行為は、自国では称えられたとしても、相手国民からは、侵略や残虐な殺害行為として非難されるかもしれない。 いっぽう、以上の互恵重視型人生に対して、あくまで個人主義的人生を貫くというスタイルもありうる。但し、念のためお断りしておくが、ここでいう個人主義というのは決して利己主義(社会や他人のことを考えず、自分の利益や快楽だけを追求する考え方。また、他人の迷惑を考えずわがまま勝手に振る舞うやり方)と同一ではない。そうではなくて、要するに、行動をするかしないかという選択にあたって、世の中にどれだけ役立つかというようなことは考慮しないし、評価もしないという態度でのぞむことが必要条件になっているのである。であるからして、自分の行為が結果的に第三者の役に立ったり、第三者に感動を与えることは排除されない。例えば、自分のためだけに世界の8000m峰を登るという人の行為は純粋に個人主義的であるが、その努力や成果が報じされることは結果的に第三者を励ますことになる。 もう1つお断りしておくが、個人主義的人生は離脱型人生と同一ではない。離脱型人生が容易ではないということは9月24日の日記にも書いたばかりであるが、けっきょくのところ現代社会では、他者からの何の支援や供給も受けずに自給自足の生活を貫くということは殆ど困難である。互恵型に依存せずに自分のために働いてもらうためには、けっきょくのところ、以下のいずれかの手段に頼らざるを得ない。
不定期で次回に続く。 |