じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 12月23日に、近くの運動公園・カンコースタジアムを発着点として山陽ロードレースが行われた。
  • 写真左上:ハーフマラソン2位の赤羽有紀子選手のゴール直前
  • 写真右上:ハーフマラソンの表彰式で、有森さんから表彰を受けるところ。
  • 写真左下:大会終了後に行われた有森さんのチャリティーサイン会で、歩数計にサインをしていただいた。
  • 写真右下:歩数計オモテ面。




2013年12月23日(月)

【思ったこと】
131223(月)山陽ロードレースを観戦、有森さんからサインをいただく

 天気がよかったことと、解説に来られる有森裕子さん、増田明美さんのお顔を一生に一度は拝んで起きたいと思い、夫婦で会場に向かった。

 テレビ中継で、後楽園北側〜百間川緑地を回るのにはまだ時間がかかるとみて、ハーフマラソンの先頭が岡山西税務署を南下するあたりで出かけたが【地図参照】、53号線ではすでに交通規制が行われていて道路を横断することができず、道路北側からの観戦となった。それにしても、選手達のスピードの速さには驚かされる。

 その後、53号線が横断可能となったあとで、カンコースタジアムのゴール付近の席に座ってゴールの瞬間を待った。このロードレースは有森裕子杯(ハーフマラソン)と人見絹枝杯(10キロ登録の部/一般の部)に分かれており、まずは10kmコースの選手たちが続々とゴール。そして10kmコースの最後尾の選手達が走っている最中に、ハーフマラソンのカプチッチ・セリー・チェピエゴ選手(ケニア出身)や赤羽有紀子選手らが次々とゴールした。

 駅伝などのロードレースは歩道上で何度か観戦したことがあるが、ゴールの瞬間や表彰式を間近に見たのはこれが人生初であった。若干気になったのは、表彰を行うVIPの面々がゴール付近で長時間立ちっぱなしだったこと、10kmコースに参加した選手の1名がゴール直後に倒れて、ゴールのすぐ近くで仰向けのまま寝かされていたことであった【↑の写真にも小さく写っている】。なおこの選手は、しばらく経ってから担架で搬送された。

 移動中継車に乗っておられた増田明美さんは結局一度もお姿が見えなかったが、有森裕子さんのほうは大会終了後にチャリティサイン会に登場されたので、御著書を購入し、歩数計の裏面にサインをしてもらった。長谷川家の家宝が1つ増えたことに加えて、これでますます、早朝と夕食後の散歩のやる気が出てきた。