じぶん更新日記

1997年5月6日開設
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 アジサイは、花が咲いたあとも長期間同じ形を保持しており、この時期にはドライフラワー化している。歳をとったせいか、こういう風景にも趣を感じるようになった。


2014年1月10日(金)

【思ったこと】
140110(金)100分 de 幸福論(5)『精神現象学』(2)承認欲求(1)

 昨日の続き。ここで白状するが、私は『精神現象学』はもとより、ヘーゲルの思想については全くの素人で何も理解できていない。いちど、大学の受験勉強の際に、Z会通信添削の国語の問題として『精神現象学』が出題されたことがあったが殆ど点がもらえず、クソ、だれがこんなモノ読んでやるかと腹を立て、それ以来、食わず嫌いになっている。大学院を受験する時には、心理学が哲学科に属していたために、哲学系共通の英語問題対策として英文の西洋哲学史の本を一生懸命読んだことがあったが、確か、ヘーゲルの章は出題可能性がきわめて低いとみて、とばしていたような記憶がある。【じっさい、出題されたのは、ギリシャと中世だった】。

 今回、ヘーゲルの「承認欲求」についての説明があったので、より分かりやすい解説はないものかと、ネットで検索してみたところ、 などが上位にヒットした。しかし、相変わらず難解すぎてよく分からない。おそらく私の能力では、ヘーゲルは永久に理解不能。

 もっとも、今回の番組で解説された「承認欲求」は、「100分de」という性質上、哲学的概念としてではなく、日常生活で素朴に使われる「他者から認めてもらう」という程度にとどまった。昨日も引用したように、意識の成長過程には3段階があり、
  1. 生死をかけた承認の戦い。優位さを争い、それに勝つことで自分を認めさせる。
  2. 自分だけの価値の追求。競争なんてアホらしい。ストア主義的な考え方。世間の競争に巻き込まれず、自分たちだけの価値を追求。自分の個性を表現。
  3. “普遍"を求める意識の誕生。自己満足に終わるのではなく、他人も認めるホンモノの個性の表現。承認を拒否はしていない。これにより、段階2の「自由と承認の矛盾」はある程度解消する。いろんな人が納得するという意味での普遍性を諦めない仕組みに発展。
要するに、「自分も他人もいいと思えるものを追求していけば、自由と承認の矛盾は乗り越えられるはず」ということらしい。

 しかし、番組で紹介された程度のレベルの「承認」については以下のような素朴な疑問が残る。
  1. 誰から承認されればいいのか?
  2. 承認しない人がいてもいいのか?
  3. 承認する人と、いない人がいた時は、多数決で決めるのか。それとも、たった一人でも承認者がいればいいのか?
  4. 人間による承認が必要なのか?
などなどである。ま、ヘーゲルの本を勉強すれば、これらは解決されているのだとは思うが...。

 このほか、心理学で「承認欲求」と言えば、マズローの欲求段階説が思い浮かぶが、この考え方とヘーゲルのいう「承認欲求」がどう異なるのか、どういう点で共通しているのかもよく分からない。

 ということで、今回の番組で取り上げられた話題の中では、ヘーゲルの部分がいちばん未消化に終わってしまった。


次回に続く。