じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
岡大図書館・時計台の耐震改修工事の状況。シートで覆われていて内部は見えないが、10月2日頃【写真右】には骨格部分のみに削られていたのに対して、すでに、外壁や時計台の窓ガラスが付け替えられている模様。 |
【思ったこと】 140109(木)100分 de 幸福論(5)『精神現象学』(1)競争的な本性?/孤独 昨日の続き。 続く哲学部門ではヘーゲルの『精神現象学』が取り上げられた。前段の経済学と同様、番組では、他者とのつながりの大切さが強調されていた。 番組ではまず、自由が大切である一方、自由を追求すると孤独になること、孤独になると生きる意味が分からなくなるという、自由の危うさが指摘された。要するに、自分だけの生き方を追求していくだけではダメで、他の人とつながる道を発見していかないと幸福にはなれないということであった。 ここで登場するのが「承認欲求」であるが、ヘーゲルの著作は難解でなかなかついていけない。【英文であれば、こちらから無料で閲覧可能】。とりあえず、番組で解説されたことを私なりにまとめてみると、意識の成長過程には3段階があり、
ヘーゲルの論点が、上掲だけで尽くされているとは到底思えないが、私のほうでこれ以上の知ったかぶりをしても始まらないので、あくまで番組内容に沿って感想を述べておく。 まず、「人間には競争的な本性がある」という考え方であるが、私は必ずしもその通りではないと考えている。このWeb日記でも何度も述べているように、競争は原理ではなくて、複合的な強化の随伴性である。競争場面がその人の行動を強化するのは、
次に、孤独や孤立に関してであるが、確かに現代社会では、いっけん自給自足の独り暮らしをしているような人であっても、何かしら他者からのサポートを受けたり、他者の作ったものを入手せずには生きて行かれない。以前テレビで外離島で裸で暮らしている男性の話題が紹介されたことがあったが、その男性であっても月1万円の姉の仕送りで本島の西表島で食料を買い出しを行っているという。 また別段、孤島で暮らさなかったとしても、歳を取って寝たきりになれば、他者からの介護を受けずに生き続けることはできない。さらに、2013年12月31日の日記でも取り上げたように、孤立する認知症高齢者は大きな社会問題となりつつある。 もっとも、佐伯啓思の『反・幸福論』でも説かれているように、人は、生まれる時は母親とともにあるが、死ぬ時はみな孤独に死ぬということをわきまえておく必要はある。 生まれる方は母親という他者がいなければ成り立ちませんが、死の方は、これは全く個人的で個体的な現象という以外にない。だから、死とは本質的に「無縁化」なのです。【86頁】とにかく、宗教でも信じて神さま仏さまにすがらない限りは、いくら多くの人たちに看取られたとしても、死ぬ時の孤独から逃れることはできない。 次回に続く。 |