じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



05月のインデックスへ戻る
最新版へ戻る

 大学構内各所で見られるニワゼキショウの花。白と赤紫の2色あるが、2色は混じって咲くこともあれば、2012年5月9日の写真にもあるように、別の場所で1色だけ群がって咲くこともある。ネットで検索したところ、こちらに色の遺伝について説明があった。
遺伝では赤紫が劣性、白花が優性です。従って、第一世代(F1)は全て白花になります。交雑種が出やすい傾向にあります。果実は球形の朔果です。径3mm程で艶がある紫褐色をしています。熟すにつれて下を向き、3裂して細かな種子を散布します。染色体数は、2n=32。
もっとも、劣性と言われるわりに赤紫の花が多いような気もする。


2014年5月11日(日)

【思ったこと】
140511(日)長谷川版「行動分析学入門」第6回(1)好子出現の随伴性による強化(8)自然随伴性と付加的随伴性(1)

 前回までのところで、
  • 好子は生得性好子と習得性好子の2種類に分類されること
  • 多数種類の裏付け好子によって支えられている習得性好子のことは「般性習得性好子」と呼ばれること
  • 交換価値を前提とした好子(お金など)は、飽和化の影響を受けにくいという点では強力だが、交換価値を失った時点で、好子としての機能は直ちに無効になってしまう。
といった点を説明しました。

 ところで、つい先日(2014年5月9日)まで、NHKで、

「お金と感情と意思決定の白熱教室」〜楽しい行動経済学の世界〜

という6回シリーズの番組を放送していました。【詳細はこちら】。この放送の中でも、「お金」、「達成や完成」、「組織の中で相互に与えられる感謝や賞賛」といったさまざまな習得性好子の効果が論じられていました。この番組についてのコメントは、いずれ、この連載が終わってから始めたいと思います。なお、第6回のところで論じられていたモチベーションの話は、行動分析学的に言えば、習得性好子の質の違いのほか、確立操作、後述する「ルール支配行動」、行動随伴性の階層性・スパイラル性などの話題を含んでいると私は考えています。




 さて、元の話題に戻りますが、生得性好子とか習得性好子というのは、好子がどのようにして形成されたのか(どのようにして好子としての機能を持つに至ったのか)という分類でした。これとは独立して、好子はどのようにして与えられるのか(行動の直後に出現するのか)という別の分類があります。大きく分けると以下の2つになります。
  1. 自然随伴性:行動の直後に自然に伴うような随伴性
  2. 付加的随伴性:第三者が結果(ここでは好子)を付加するような随伴性
 ちなみに、『行動分析学入門』(杉山ほか、産業図書、1998年)では「自然随伴性」は「行動内在的強化随伴性」というように読み替えられており、付加的強化随伴性とともに、以下のように定義されています。
  1. 行動内在的強化随伴性:行動に随伴して 誰かが関わらずに 自然に好子が出現したり嫌子が消失する
  2. 付加的強化随伴性:行動に随伴して 意図のあるなしにかかわらず 誰かによって 好子が提示されたり嫌子が除去される
 もっとも、「行動内在的」という表現では「内在」という意味がイマイチ不明確です。杉山ほか(1998)の古いバージョンでは「行動内在敵随伴性」ではなく「ビルトイン随伴性」という呼称が使われていたこともありました。ビルトイン(built-in)はランダムハウス英語辞典では「作りつけの,はめ込みの;組み込みの:」「本来備わった,固有の:」といった意味があります。要するに、行動すると、それに伴って必然的に生じてくるような変化という意味になります。例えば、「寒い日にジョギングをするとホカホカしてくる」というのは明らかに内在的です。しかし、
  • 公園を掃除したら落葉やゴミが一掃されて綺麗な環境になった
  • 新聞を読もうとして老眼鏡をかけたら、手元の文字がはっきりした
  • バス停まで走って行ったら、乗ろうとしていたバスの発車時刻に間に合った
というような随伴性になると、下線で示した結果部分は果たして行動内在的、あるいはビルトインなのか疑わしくなってしまいます。いっぽう、上記の3つの行動が
  • 公園の掃除をして、時給800円の報酬を受け取った
  • 新聞を読もうとしたが老眼で見えなかったので、隣の人にお願いしたら、読み上げてくれた
  • バス停まで走って行ったらすでにバスが動き出したところであったが、手を振って合図をしたら運転手さんが止まってくれた
というような結果で強化されていたとすれば、これは明らかに、付加的随伴性によるものと考えられます。

 要するに、社会的な環境の中では、第三者が与えてくれるような付加的な結果が伴う場合と、第三者が関与せずに自然の結果が伴う場合があるということです。そういう意味で、ここでは、「付加的随伴性」に対照させて「自然随伴性(natural contingency)」という呼称を使うことにしたいと思います。

 ところで、行動の結果が自然に生じたものなのか、それとも第三者が与えてくれたものなのか、という違いは、ある程度まで外の世界を知っていないと区別することができません。以前、養鶏場のニワトリは、自分が鶏肉になるために飼われているという因果性を認識できないというような話をしましたが、スキナー箱に入れられたネズミの場合も「レバーを押したら餌が出る」という「因果性」が実験者によって付加的に与えられているものなのか、何らかの自然現象の一部なのかは区別できません[
スキナー箱に入れられた2匹のネズミが次のような会話をしているというジョークもあります。
「おい、この男を条件づけてやったぞ! 僕がこのバーを押すたびにあいつは餌をひとかけおとしてよこすんだ。」


 要するに、行動の結果が自然随伴性なのか付加的随伴性なのかという違いは、社会的関係の中で、当事者がそれを取り巻く文脈についてどれだけ情報を得ているのかによっても違ってきます。『アリババと40人の盗賊』で、「開けゴマ!」という呪文で洞窟の岩扉が開く場面がありますが、「開けゴマ!」という音声に共鳴して岩扉が自然に開いたのか、何らかの魔神によって付加的に開けられたのか、あるいは、守衛さんがスイッチを押して付加的に電動扉を開けたのかは、アリババにとっては知る由もありません。いっぽう、賃金をもらって公園の清掃作業をするのか、それとも、公園が綺麗になるという結果が随伴するだけでボランティア清掃活動をするのかという違いは、当事者にもはっきり区別できるものです。この場合には、自然随伴性か付加的随伴性は異なる効果をもたらすと考えられます。

 自然随伴性と付加的随伴性の効果の違いは、動機づけ理論における「内発的動機づけ」と「外発的動機づけ」の区別に対応しています。また教育場面では、付加的随伴性から自然随伴性への移行という技術が大きな意味を持ちます。いずれの話題も次回に続く。