じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 5月30日の20時24分頃、小笠原諸島西方沖の地下590kmを震源とする地震があり、小笠原諸島の母島と神奈川県二宮町で震度5強、埼玉県の春日部市、鴻巣市、宮代町で震度5弱の揺れを観測した。岡山でも横揺れがあり、大したことはなかったものの、揺れの性質から遠方で大きな地震が起こったのではないかと思いさっそくテレビのスイッチを入れた。まず驚いたのは、マグニチュード8.5という規模の大きさである。写真下にあるように、東北地方太平洋沖地震のマグニチュード(モーメント・マグニチュード)9.0には及ばないが、データベース上の比較では史上4位タイの大きさとなっている。報道でも「この地域では最大クラスの地震か」という東京大学の阿部勝征名誉教授の談話が伝えられていた。

 専門的なことは全く分からないが、2つほど疑問が浮かんだ。
  • 590kmという深さになると、震源に近いかどうかという情報は地上の揺れにとってどれほど意味を持つのだろうか。震源から100km離れた点Aは、地上の震源地B(=震源に最も近い地上の点)、地下の震源Cの3点で構成される直角三角形を作ると、点Aと震源Cの距離はその斜辺の長さに等しくなるはずだ(地球の丸みは考慮しない)。震源が深くなればなるほど、つまりBとCを結ぶ長さが長くなればなるほど、辺ACと辺BCの長さはあまり変わらなくなってくる。要するに、震源から離れているかどうかという情報は、「震源から離れているから大丈夫だ」といった誤解を招く恐れがあるのではないだろうか?
  • 地下の非常に深いところで起きる地震は「過去の観測結果から、余震は起こりにくいと考えられる」(阿部・東大名誉教授)そうだが、これほど規模の大きい地震が起きれば、各所で心配されているプレート境界型巨大地震や直下型地震の「巣」も何らかの形で刺激されるはず。それが引き金となって全く別種の地震が触発されたり、富士山などの火山が噴火する恐れはないのだろうか?


5/31追記]この地震について、気象庁は観測データを詳しく分析した結果、地震の規模を示すマグニチュードを8.5から8.1に、震源の深さを590kmから682kmに、また、発生時刻を当初の発表より1分早い午後8時23分にそれぞれ修正した。なお、47都道府県すべてで震度1以上の揺れを観測したのは今回が初めてだという。

2015年05月30日(土)


【思ったこと】
150530(土)哲子の部屋「どうしたら“恋”できるの?」(5)選択のパラドックスと“これ性”

 5月26日の日記に記したように、この番組ではまず、18歳〜34歳の日本人若者の中で「未婚で異性の交際相手がいない」比率が、男性61.4%、女性49.5%に達しており、1992年以降の推移で最多となっているというデータが示されていた。そしてその原因の1つを情報過多であることに帰属させ、後半のほうでは
  1. (出会い)の可能性がいくらでもあると「一つの出会い(これ性)」に賭けられない
  2. 可能性が広がったままだと「出会い(恋)」は先延ばしに・・・
  3. 限定された状況を選ぶことで“恋”が生まれる
  4. 「これは、これでいい」に出会いまくれ!
といった改善のヒントが提示されていた。

 上記の論点は、シュワルツや、アイエンガーが主張する「選択のパラドックス」や「選択の技術」の知見と共通するものである。特に、

Barry Schwartz (2005). The Paradox of Choice: Why More Is Less. 【ハードカバー版は2003年刊行】

は大いに参考になる。特に、千葉雅也先生が提唱されていた、
  • 限定された状況を選ぶことで“恋”が生まれる
  • 「これは、これでいい」に出会いまくれ!
は、おそらく哲学的には解決できない。心理学の知見に基づいた一定の自己変革が必要である。

 まず、情報過多の弊害があるからといって、多すぎる情報を一方的に遮断すればそれで済むわけではない。重要な情報を取捨選択するにはクリティカルシンキングの目を養うことが大切だ。さらには、追求者(maximizer)タイプの人は満足者(satisficer)に変身していかなければならない。といって「ヘンシーン!」と叫んだだけでは何も変えられない。選択の際にどういう心理学的要因が働いているのか、また、(選択肢を)比較することや(選択の結果についての)後悔することの心理を学ぶ必要がある。【2013年8月22日の日記にSchwarzの最終章の要約あり。アイエンガーの講義についての記事も合わせて参照されたい。】 。

 でもって、いちおう心理学の知見が役立つとは書いたが、最終的に「これは、これでいい」に納得するためには、哲学的な裏付けも必要になってくるかもしれない。それが老荘思想なのか、仏教への信仰になるのか、番組でも紹介されていたドゥルーズを学ぶのがよいのかは、人それぞれであろうが...。