じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 座主川沿いのアジサイが見頃となっている。梅雨入り前に萎れていた株も生気を取り戻している。
 半田山植物園のアジサイは赤色が多いようだが、座主川沿いはほぼ青一色となっている。

2015年06月10日(水)


【思ったこと】
150610(水)NHK 100分 de 名著43「荘子」(5)予測、目標、計画

 昨日も取り上げたように、放送第2回では、目標・計画を立てたり予測したりすることの問題点がいくつか指摘された。例えば、
  1. 僧侶の仕事は計画が立てられない→今月は葬式を何回やるとか、来週のいつにお通夜をやるというような計画は立てられない。
  2. 天気予報は見ない。それが外れた時に「○○の天気だったはずじゃないか」と不満をもつから。
  3. ナビゲーターを使い始めると、途中にある大事かもしれないモノに出会う機会を逸する。

 番組の終わりのほうでは、応帝王篇の、

立乎不測、 而遊於無有者也(不測に立ちて無有(むう)に遊ぶ)

に沿って、
  • 未来を憂えない
  • 未来を予測しない
  • 未来を計画しない
ことの意義が説かれた。

 あくまで番組内容から理解した範囲になるが、予測や計画については以下の3点が指摘されていたように思う。
  1. 予測(予断)が入ると、それに囚われた見方しかできなくなる。
  2. 予測すれば憂えが増える
  3. 目標を立てて計画通りに行動しようとすると、目標達成のための効率性ばかりに注意が向いてしまい、途中のプロセスや意外な展開を楽しむことができなくなる。
 もっとも、これらの問題点は、
  1. 一面的な予測ではなく、さまざまな展開を想定する。→囚われることがない。
  2. 感情、主観、願望を交えず、予測をする。→憂えない。
  3. 目標や計画は固定せず、PDCAサイクルのように、実行と点検評価を繰り返しながら柔軟に対応していく。→意外な展開にも対応できる。
という態度で臨めば解消できるように思える。少なくとも現代社会の若者は、柔軟性を前提としつつ、目標や計画を立てて行動してほしいと思う。

 そもそも、「未来」といっても、数時間先の未来、数ヶ月〜数年先の未来、さらに数十年先の未来では個人としての対応は異なる。

 数時間先の未来については、予測はおおむねプラスに働く。これから雨が降ると予測すれば折りたたみ傘を携行する。これにより濡れなくて済む確率が高まる。逆に、晴れが予測されている時まで傘を持参すればその分、荷物が重くなるばかりだ。

 数ヶ月〜数年先の未来に対しては、やはり目標や計画を立てたほうが良いだろう。もっとも、高齢になって、あと何年生きられるか分からない状況になれば、「立乎不測、 而遊於無有者也」のほうが気楽に生きられるかもしれない。

 数十年先の未来について語る場合は、個人が及ぶ範囲には限界がある。社会全体がどうあるべきか、そのために自分はどういう役割を果たすかを考慮に入れた上で目標や計画を立てる必要があるが、それが嫌だという人は、昨日取り上げた「感而後応。迫而後動。不得已而後起。去知与故。循天之理。」というライフスタイルに徹するしかないが、現代社会では、よほどの資産家で無い限りはこういう道を選ぶことは現実的に困難と言えよう。

不定期ながら次回に続く。