じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 7月1日の8時59分から9時00分の間に「うるう秒」が挿入された。うるう秒が挿入されたのは2012年7月1日以来となる。5月19日の日記にも書いたように、うるう秒挿入についてはいくつか誤解があるようだ。確かに地球の自転は徐々に遅くなっているが、うるう秒を頻繁に挿入しなければならないほど顕著ではない。「地球の自転速度を1750年-1892年の間(平均的には、1820年頃)に行われた天文観測からサイモン・ニューカムが計算した秒の長さに基づいて決めために、1958年当時の地球自転の歩度とは、合わなくなっていたことがうるう秒挿入の一番の原因」であるそうだ。

 この日は日本では種々の業務が開始される9時直前の挿入となったため、混乱が心配されていたが、これまでのところ、重大なトラブルは起こっていないようである。

 写真は私が愛用している腕時計【2011年9月26日の日記参照】。いちおう、電波時計ではあるのだが、電波の受信感度が弱いため、歩行中やコンクリートの建物内では自動的に時刻修正をすることができない。夜になって、窓際に置いてあったデジタル時計(電波受信良好)と比較してみたところ、腕時計のほうが1秒きっかり進んでいることが確認できた【写真上】。その後腕時計を窓際に置いていたところ、翌朝にはちゃんと自動修正が完了していた【写真下】。

2015年07月01日(水)


【思ったこと】
150701(水)『嫌われる勇気』(4)「原因論」と「目的論」の違い

 昨日の続き。

 本書の「第一夜」(「第一章」の代わりに「一夜」と表記されていた)では、「原因論」と「目的論」の違い、さらにトラウマの話題が取り上げられていた。

 引きこもりの事例では、「不安だから外に出ない」と考えてしまうが、アドラー心理学では「外に出たくないから、不安という感情を作り出している」、つまり「「外に出ない」という目的が先にあって、その目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情をこしらえている」と考えるのだそうだ【26〜27頁】。さらに、「風邪で高熱を出した人にとって、医者に「風邪をひいたのは薄着をしていたせいだ」という説明を受ければそれだけで満足できるか?」という例が挙げられた。そして、「原因論に立脚する人々、たとえば一般的なカウンセラーや精神科医は、ただ「あなたが苦しんでいるのは、過去のここに原因がある」と指摘するだけ、また「だからあなたは悪く無いのだ」と慰めるだけに終わってしまいます」と続く。

 こうした発想は一般常識を覆すもので、読者に与えるインパクトはかなりのものがあると思われる。

 上記のうち「目的が先にあって、その目的を達成する手段として感情をこしらえる」という部分については私自身は納得できないところがある。「目的」をどう定義するのかにもよるだろうが、何から何まで「初めに目的ありき」というのはきわめて不自然であると思うからである。

 しかし、上記の引きこもりや風邪の例で指摘されている原因論批判の部分は大いに納得できる部分もある。

 引きこもりの例に関しては、
外に出ることなく、ずっと自室に引きこもっていれば、親が心配する。親の注目を集めることができる。まるで腫れ物に触るように丁寧に扱ってくれる。他方、家から一歩でも外に出てしまうと、誰からも注目されない「その他大勢」になってしまいます。...【31頁】
とあり、こうした背景のもとで「外に出ない」という目的が形成されるのだという。これが「目的」になるのかどうかははなはだ疑問だが、行動分析学的に言えば「自室にこもる行動は強化されている」ことは間違いない。引きこもりは決して、外の世界に対する恐怖の回避、つまり嫌子(=外の世界)消失の随伴性【もしくは嫌子出現阻止の随伴性】によって強化されているばかりではない。自室にこもる行動によって出現する好子(=家族からの注目や保護)によっても強化されているはずであり、こう考えればまさに正論であると言える。

 もう1つの風邪の事例は、知的障がい者への支援にもあてはまり、まさに行動分析学的な発想とも言える。知的障がいの原因として、いくら遺伝的要因や出産時の事故などを挙げたとしても、そのことが支援に役立つとは考えられない。「どうしてできないのか」の原因論ではなく、「何ができるのか」に焦点をあてて、できることを伸ばしていく支援を行うことが大切であると思う。


不定期ながら次回に続く。