じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
7月7日の午前11時より、ひまわり8号の運用が正式に開始された。気象庁の関連記事にあるように、
写真は、こちらから公式配信されているひまわり7号の最後の画像と、8号の最初の画像(全球、可視、カラーを選択)の比較。全球の可視画像は高精細であるだけでなく、かなりリアルに見えている。但し、可視画像なので、夜の部分は真っ暗になってしまう。 なお、デジタル台風経由の可視画像は7月8日朝の時点では未対応で、閲覧すると、「雲1つない全球」が表示されていた。 |
【思ったこと】 150707(火)『嫌われる勇気』(9)「じぶん」の更新 昨日の日記の続き。 本書第一夜(第一章)の中段では、「人は変われるか」に関連して、自分は別人へ生まれ変わることはできないが、「このままのわたし」は変えることができるという話題が取り上げられていた。いくら人が変われると言っても、身長を160cmから180cmに伸ばすことはできないし、江戸時代にタイムスリップしたり、ウルトラマンに変身したりということも現実にはできない。「大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである」というアドラーの言葉の引用【44頁】もこの考え方を示すものであろう。 そのあとの頁ではさらに、
これらは私にとっては基本的に納得できる内容であった。じっさい、このWeb日記のタイトルが「じぶん更新日記」となっているのは、少なくとも日記執筆を開始した1997年当時、「じぶんを更新していこう」と考えていたことの現れと言える。【←もっとも、現時点では、じぶんは丸ごと交換可能な機械ではないが、かなりの部品は取り替えたり、廃棄したり、新規に増設できるものだという発想に至っているが。】 いっぽう、「あなたが不幸なのは、自らの手で「不幸」であることを選んだからなのです。」とか、「「不幸であること」がご自身にとっての「善」だと判断した、.」というくだりについては、私は異なる考えを持っている。私なりに言い換えれば、「「自らの手で選んだ」とか「善だと判断した」のではなく、結果的に、「不幸である」という場に身を晒し、その場を固定した上で、そのしがらみのなかで行動するようになった。」ということになるのではないかと思う。 また、46頁のところには、「すべての犯罪者には、犯罪に手を染めるだけの内的な「しかるべき理由」があります。」というのは、私なりに言い換えれば、「すべての犯罪行為は、それなりに強化されている」ということになる。要するに「しかるべき理由」ではなく「しかるべき随伴性」である。金銭目的の犯罪であれば盗んだ金品が好子となるし、怨恨による殺人は、嫌子消失の随伴性が働いていると言える【←衝動的な殺人の場合には、レスポンデント的な行動も含まれているが】。 単に「自らの手で選んだ」とか「善だと判断した」というだけであれば、いとも簡単に「選び直せばいい」、「判断を変えればいい」ということになるが、実際はそんなに簡単には変えられない。複数の行動機会のうちのどれを選ぶのか、選んだあとでどういう行動をしているのかということにはすべて強化の原理が働いているのであって、決して任意に選ばれたものではない。何度も論じているように、どういう随伴性が働いているのかを知った上で、その部分を変更しない限りは、じぶんを変えることはできない、と私は思う。 不定期ながら次回に続く。 |