じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 7月17日朝に岡山に上陸した台風11号の経路と衛星写真。岡山市では17日午前3時44分に最大瞬間風速29.6メートルを記録した。台風は午前中に岡山から離れていったがその後も17時頃まで雨が降り続き、16日〜17日の合計降水量は140.5ミリに達した。

 写真下は、夕食後の散歩時に撮影した旭川。水かさはそれほど増えていないが、茶色に濁っていた。

2015年07月17日(金)


【思ったこと】
150717(金)『嫌われる勇気』(16)劣等感と主観的解釈

 7月15日の続き。

 第二夜(第二章)の中頃では、「劣等感」、「価値」、「優越性の追求」、「劣等コンプレックス」、「見かけの因果律」などについて、興味深い内容が語られている。まず、要点を私なりにまとめさせていただくと、以下のようになる。
  1. アドラーが使ったドイツ語の「劣等感Minderwertigkeitsgefuhl(fuhのuはウムラウト記号つき)」とは、「価値」「より少ない」「感覚」という意味である。【74頁】
  2. われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」【76頁】
  3. 主観的な解釈は、勝手な思い込みであるが、自分の手で選択可能。【76〜77頁】
  4. 劣等感とは自らの価値判断に関わる言葉である【77頁】
  5. 価値は、社会的な文脈の上で成立している【77頁】
  6. 人間は、無力な状態から脱したいという普遍的な欲求を持っている。アドラーはこれを「優越性の追求」と呼んでいる。【79頁】「優越性の追求」や「劣等感」は、健康で正常な努力と成長への刺激である。【80頁】
  7. 「劣等コンプレックス」とは、自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態のことを指す。【82頁】
  8. 本来はなんの因果関係もないところに、あたかも重大な因果関係があるかのように自らを説明し、納得させてしまうことをアドラーは「見かけの因果律」として退けている。【82〜83頁】

 これらについて私なりの考えを述べさせていただくと、まず1.は定義上の問題なので特に異論はない。ちなみに、ウィキペディアでは、「劣等感」のドイツ語見出しはMinderwertigkeitskomplexとなっていた。ドイツ語のことはよく分からないが、後述の「劣等コンプレックス」のことと思われる。また、ドイツ語版では「Der Minderwertigkeitskomplex oder das Minderwertigkeitsgefuhl ist ein seelisches Empfinden, das ein Gefuhl der Unvollkommenheit ausdruckt. Der Psychologe Alfred Adler hat den bis dahin nur in der Kunst- und Literaturtheorie verwendeten Stilbegriff fur die Psychologie entdeckt und als zentralen Begriff der Individualpsychologie eingefuhrt.」というように、単語の並びから推測すると本書に近い説明がなされているように見える。

 2.もその通りであるが、「劣等」や「優越」というのは特定の順序尺度上で比較をした時の順位であるものの、尺度を取り替えれば入れ替わることもありうる。であるからして、1つの尺度だけにこだわれば、そこでの主観的解釈に苦しめられることもあるが、多様な尺度で評価すると、主観的解釈のほうも多様となり、必ずしも劣等ばかりでなくなることもありうる。例えば、背の低い人は、身長という尺度だけで他者と自分を比較すれば劣等感を生じるかもしれないし、それを無視できるかもしれない。しかし、別の多様な尺度、例えば、さまざまな学力とか運動能力とか資金力といったで比較することにより、1つの尺度だけにこだわることによる主観的解釈は相対的に弱められるはずである。

 3.の「自分の手で選択可能」という点についてはやや疑問符がついてしまう。そもそも、他者との比較というのは、自分が望んでするとは限らない。社会的文脈の中では、好むと好まざるとに関わらず、勝手に比較され、それによって不利益な扱いを受けることもあると思う。

 5.については、交換価値はその通りだと思うが、使用価値には当てはまらないようにも思える。自分以外の対象については、もっと一般的に、習得性好子として論じることができると思う。自分自身についての価値判断は、自己効力感や自尊心の枠組みで様々な研究がある。

 6.以下については次回に。