じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 日曜日、県中部の建部、久米南町方面まで、半日ドライブに行ってきた。写真は助手席から撮影した、緑豊かな旭川。

2015年07月20日(月)


【思ったこと】
150720(月)『嫌われる勇気』(18)「優越コンプレックス」と「不幸自慢」

 7月18日の続き。

 第二夜(第二章)の中頃では、劣等コンプレックスに関連して、
  • 「AだからBできない」といっている人は、Aさえなければ、わたしは有能であり価値があるのだ、と言外に暗示している【84頁】
  • 自慢する人は劣等感を感じている。【84頁】
  • 劣等コンプレックスに我慢できず、「できない自分」を受け入れられない人は、あたかも自分が優れているかのように振るまい、偽りの優越感に浸る。(=優越コンプレックス)
  • 10本の指すべてのルビーやエメラルドの指輪をつけている人、自分の手柄を自慢したがる人、過去の栄光にすがり、自分がいちばん輝いていた時代の思い出話をする人、などは優越コンプレックスの表れ。【86-87頁】
  • ほんとうに自信を持っていたら、自慢などしない。自分が優れていることを誇示しないと、周囲の誰ひとりとして「こんな自分」を認めてくれないと怖れている。【88頁】
  • 劣等感そのものを先鋭化させることによって、特異な優越感に至る「不幸自慢」がある。不幸であることによって「特別」であろうとし、不幸であるという一点において、人の上に立とうとする。【88頁】
 こうした「優越コンプレックス」や「不幸自慢」の弊害としては、
  • 権威の力を借りて自らを大きく見せている人は、結局他者の価値観に生き、他者の人生を生きていることになる。【87頁】
  • 自らの不幸を「特別」であるための武器として使っている限り、その人は永遠に不幸を必要とすることになる。【90頁】


 以上に挙げられたような人たちは、私の身の回りにも少なからずいる。もっとも、他人のことは他人。そういう生き方で満足している人のことをあれこれ言うつもりはない(というか、私の周辺にそういう人たちがいたら、私はできるだけそれらの人を無視し、関わらないようにつとめるだろう。) 問題は、自分自身にもそういう傾向があるかどうかである。

 このうち、後者の「不幸自慢」については、あまり思い当たるものが見つからない。いっぽう、前者の自慢話をする傾向については、無いとは言えないようにも思うが、うーむ、他者から認めてもらおうとして自慢話をしているのかと言われると、本心、そんな意図は全く無いという気もする。

 例えば、海外旅行先の写真をWeb公開するというのは、人によっては、自慢話ばかりしていると受け止めるかもしれない。しかし、私は、単に、海外で見つけた絶景や珍風景を、他の方にも見て貰いたい、その感動を共有してもらったり、その人自身が同じ場所に旅行する時の参考情報として利用していただければありがたいという意図があるだけで、別段、公開写真を増やすことが他者から認めてもらうことになるとは思っていない。

 7月15日の日記にも書いたように、私は別段、他者から嫌われることを怖れてはいないし、他者から高い評価を受けたいとも思っていない。といっても、高齢になるにつれて他者に頼らざるを得ない状況も想定されるため、いかにして、他者から干渉を受けず他者に頼る部分を最小限に食い止めるか、そのための準備に入っている段階である。

 不定期ながら次回に続く。