じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
妻の実家のある北九州で、夕食後の散歩時に見かけた盆踊り。このあたりの地域は少子高齢化が進み、空き家や廃屋も増えている。こうした行事が盛大に(?)行われることは良いことだが、毎年の継続はなかなか大変だろうと思われる。 |
【思ったこと】 150813(木)『嫌われる勇気』(33)所属感と無所属感 昨日の続き。 第四夜(第四章)では、「共同体感覚(他者への関心)」、「あなたは世界の中心ではない」と併せて「所属感」について論じられていた。一部8月10日の日記の再掲となるが、要約引用すると、
以上の引用部分は、恋愛、家族、学校、職場、地域などの場で人間関係で困難を抱えている人たちにとっては大きな希望を与えてくれるであろう。もっとも、私自身はこれまで所属感を意識したことは無かった。むしろ、何かの集団に一員であると見なされることには強く反発するところがあった。であるからして、上掲の 「ここにいてもいいのだ」と感じられること、つまり所属感を持っていること、これは人間の基本的な欲求である。 については実感がわかない。むしろ、「所属感」自体がしがらみであり束縛であるように感じてしまう。上掲部分はむしろ、 「ここにいなくてもかまわない」と感じられること、つまり無所属感(所属フリー)を持っていることも、人間の基本的な欲求である。 と言い換えてみたくなってしまう。 じっさい私は、懇親会に出席したり、食事に誘われることを煩わしく、面倒でたまらないと感じることがある。やむを得ず参加した時には「ここにいてもいいのだ」ではなく「ここにいなくてもいいのだ」、挨拶だけ済ませてさっさと立ち去りたいという願望を生じることが多い。 ま、人間はもともと群れで生活していた動物であり、群れから完全に離れて生きることができないことはよく分かる。もっとも、ニホンザルを見ても分かるように、群れで育ったオスは、一定年齢に達すると群れから追い出され、単独で暮らすようになる。そのうちの強い個体は別の群れに近づき、その群れのボスと戦って新たなリーダーに即位したりする。それによって、ニホンザル全体として近親交配が避けられているわけだから、離れザルは決して例外的存在というわけでもない。また、オランウータンのように、群れを作らず単独行動をする霊長類もあり、人間にとって所属感が基本的欲求であるのかどうかについては、いささか疑問の余地もある。 不定期ながら次回に続く。 |