じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
3ヶ月ほど前に放送された、テレビ東京系の
土曜スペシャル トゥクトゥクの旅2 日本の道100選を制覇せよ【関連した詳細情報がこちらにあり。】 を視て、日本全国から104本の道が選ばれているということを知った。【5月23日の日記参照】。 そのうちの1本が北九州にあるということだったので、妻の実家に帰省中、立ち寄ってみた。Googleのストリートビューで事前にcheckしていたのでそれなりの覚悟はできていたが、予想通り、104本の道の中で104番目の感動をもたらすと思われる景観であった。確かに道にカーブをつけてスピードが出にくい設計にはなっているが、福岡県下から選ばれたわずか3本のうちの1本に匹敵する価値があるのかどうかは甚だ疑問。 |
【思ったこと】 150814(金)『嫌われる勇気』(34)叱ってはいけない、ほめてもいけない(1) 昨日の続き。 第四夜(第四章)の中頃では、「横の関係」と併せて、「叱ってはいけない、ほめてもいけない」が論じられている。「叱ってはいけない」は行動分析学でもよく言われることだが、論拠は異なる。いっぽう、「ほめてはいけない」は行動分析学とは決定的に対立する主張である。 アドラー心理学で「叱る」、「ほめる」はなぜ否定されるのか? 要約引用すると以下のようになる。
上掲の主張については、行動分析学の視点から以下のような疑問が生まれてくる。
まず、1.であるが、行動分析学的に言えば、「叱る」、「ほめる」とは、付加的随伴性の一種と考えられる。付加的随伴性とは、「行動に随伴して、意図のあるなしにかかわらず、誰かによって好子や嫌子が提示されたり除去されたりする」と定義されている【杉山ほか(1998)、一部改変】。基本的には以下の4通りに分類される。【←阻止の随伴性4通りが別にあるがここでは省略】
上記で、付加的強化や付加的弱化は、「意図のあるなしにかかわらず、誰かによって」付加される随伴性であると定義されていた。これは、「叱る、ほめる」という「意図」と、実際の行動変容が必ずしも一致しないということを意味している。
要するに、付加的強化や付加的弱化というのは、当事者本位(行動する人本位)で定義されるものであって、これが「叱る」でこれが「ほめる」というように、あらかじめ固定されたものではない。また、「ありがとう」と言われることのように、意味としては感謝の言葉であっても、褒め言葉の一部として使われることさえある。上述の笑顔も同様。 おそらく、本書で言いたかったのは、相手との関係において、相手の行動を増やすことを目的としてほめたり、逆に相手の行動を減らす目的で叱ることは止めましょうということなのだろう。もっとも、「目的」が、相手を操作する目的である場合を否定するべきなのか、相手を支援する場合を含めてすべて否定するべきなのかは議論の余地がある。 不定期ながら次回に続く。 |