じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
昼過ぎに一般教育棟構内を通過したところ、カイヅカイブキの陰がアルプスの尖峰のように写っていた。写真下は、シャモニーで見た、ホンモノの尖峰群。
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【思ったこと】 150815(土)『嫌われる勇気』(35)叱ってはいけない、ほめてもいけない(2) 昨日の日記で、「ほめる」、「叱る」という行動は、付加的強化や付加的弱化の随伴性として作用するものの、あくまで、「ほめる」側、「叱る」側の行動であって、「ほめられる側」、「叱られる側」本位で定義・分類されるものではないと指摘した。よって、相手の「望ましい行動」を増やそうとして「ほめた」としても、
という3通りのいずれかの結果になると予想される。 いっぽう、相手の「問題行動」を止めさせようとして「叱った」場合にも、
という3通りが予想される。但し、叱るという行為は、単に怒りにまかせて発せられる場合もある。なお、上記の「望ましい行動」や「問題行動」は、当事者がどういう時代、どういう社会で生活しているのか、あるいは、特定の対人関係の中で固有に決まってくるものであって、絶対的な基準があるわけではない。もちろん、常識的には、社会に役立つ行動は「望ましい行動」であり、周りの人々や社会に迷惑を及ぼす行動は「問題行動」とされている。 通常、AとDのケースでは、ほめたり叱ったりする行動は、強化される。念のため言っておくが、ここでの強化とは、ほめたり叱ったりする側(行使者)の行動が強化されるという意味である。 いっぽう、CやFのケースでは、ほめたり叱ったりする行動は、消去または弱化される。これらの場合、「うちの子は、ほめてもムダだ」、「うちの子は、いくら叱ってもちっとも言うことを聞かない」といった愚痴がこぼされることになる。 注意しなければならないのは、BやEのケースである。ここで「効果が無い」というのは、科学的な効果が検証されていないというだけであって、当事者にとっては「効果があった」と錯覚される場合があるからだ。これがいわゆる「平均値への回帰」と呼ばれる現象である。 不定期ながら次回に続く。 |