じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
台風15号が、フィリピン北から向きを変えて、日本列島に進む予想となっている。8月22日06時時点の5日先予想によると、予報円の中心を通る線は8月25日午後に山口県の上に描かれており、岡山県も影響がありそう。「恵みの雨」程度なら歓迎だが、局地的豪雨や暴風は御免被りたい。
なお、今回は、気象庁と米軍(下図)で予想進路に食い違いが少なく、今のところ日々の予想のブレも小さいようである。 |
【思ったこと】 150821(木)『嫌われる勇気』(41)「自らの価値」と「存在しているだけでも価値」 昨日も述べたが、私にとっては、「勇気づけ」やそれに続く「自らの価値」の部分を理解することが難しい。 そもそも、日頃、自分に価値があるかないかというようなことは考えたことはない。価値があると主観的に「思い込む」ことに何かのメリットがとも思えない。もっとも、日頃から劣等感に悩まされていたり、自分は無能力だと落ち込んでいる人たちにとっては、自信を回復する方策として、自らの価値を実感する意義はあるかもしれないとは思う。 208頁以降にある「ここに存在しているだけで、価値がある」という節になると、またまた話が分からなくなる。209頁には あなたはいま、他者のことを「行為」のレベルで見ています。つまり、その人が「なにをしたか」という次元です。...【略】...そこで他者のことを「行為」のレベルではなく、「存在」のレベルで見ていきましょう。他者が「なにをしたか」で判断せず、そこに存在していること、それ自体を喜び、感謝の言葉をかけていくのです。とあるが、「ここに存在しているだけで、価値がある」というのであれば、道端に生えている雑草も、昼寝をしている猫も、あるいは転がっている石ころもみな価値があるということにならないだろうか。 意識不明の重体の人は「いまここに存在してくれるだけでありがたい」と思われるという例が挙げられているが、意識不明であっても、「生きている」という行為があればこそありがたいのであって、亡くなられたあと、「棺桶の中に存在してくれていてありがたい」と思う人は居ないだろう。また、事故で意識不明の重体になられたり、重度の要介護状態である人に接する時は、単に、いまここでの行為の有無だけでなく、過去何十年にもわたってどういう行為が交わされたのかという思い出が重なり、過去からの一貫した存在として、寝たきりの人に接しているはずである。 いずれにせよ、物理学的に言えば、地球上のあらゆる物質は常に存在しているのであって、核分裂や核融合に至らない限りは、分子の構成を変えてこれからも存在し続ける。そういった、いろいろに変化する分子のまとまりに対して、人間がニーズに応じてラベルをつけ、分類し、接し方を変えていくにすぎない。生き物、とりわけ人間という存在は、分子構成のレベルでは永久不滅とも言える。不滅でないのは、行為をする個体であり、行為を分離して存在だけに価値を認めようとしても、道端の石ころ以上の価値は見出せないように思う。 不定期ながら次回に続く。 |