じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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岡大構内の彼岸花(1)南東端の群落

秋のお彼岸が近づき、各所で彼岸花が見られるようになった。写真は、津島東キャンパス・南東端にある群落。かつては大学構内最大規模を誇っていたが、アメダスの移設により、かなり縮小した。球根(鱗茎)自体は残っているので、今後再び繁殖していく可能性がある。

2015年09月12日(土)


【思ったこと】
150912(土)『嫌われる勇気』(54)「関係フレーム理論」、「ACT」との比較(13)

 9月8日の続き。

 ACTでは、前回とりあげた「概念としての自己(物語としての自己)」に加えて、「プロセスとしての自己」、「文脈の自己(視点としての自己)」という3つの側面を取り上げている。これは、単に、どう機能するのかという違いばかりでなく、それらを身につけていく発達過程の違いをも示唆しているようだ。

 トールネケ(2013、182〜183頁)は、自己ルールの発達に関して次のように述べている【長谷川による要約・改変】。
  1. 子どもの時、直接的な強化随伴性を通じて私的出来事を含めたタクトを学習していく。
  2. 社会的コミュニケーションから受ける訓練に沿って、さまざまな恣意的な関係づけが行われる。
  3. これにより、ますます複雑に「私」をタクトすることが発達し、これに助けられて自己の3つの側面(視点としての自己、プロセスとしての自己、物語としての自己を次第に獲得していく。
  4. プライアンス、続いてトラッキングとオーグメンティングに関するルール支配行動の学習が進行する。
  5. 恣意的な関係づけにより、さまざまな「思考」が派生していく。

 古来より、哲学者、思想家、そして心理学者により、さまざまな「自己」が語られてきた。また、相変わらず「自分探し」という言葉もよく聞く。いろいろ議論はあるだろうが、上記の自己形成プロセスは一番納得できるように思う。要するに、発達の中で、まずは直接的な強化随伴性、そして私的出来事のタクト、さらにその子どもが生きている社会の中で訓練され派生的に学習される恣意的な関係づけの中で、自己の3つの側面として形成されていくという考え方である。

不定期ながら次回に続く。