じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
半田山植物園では昨年春から水道施設の工事が行われていたが、ようやく、施設自体の工事が完了し、園内通路とその周辺の整備を残すだけとなった。工事期間は長期に及んでいたが、その大半は配水管工事であった。 |
【思ったこと】 160213(土)『嫌われる勇気』(69)100分de名著(3)過去の原因と今の目的と強化理論 昨日の続き。 番組第1回では続いて安土羅先生(岩松了)と女子高校生(三浦透子)の対話シーンが挿入された。『嫌われる勇気』の青年と哲人の対話場面そっくりであった。そのあとの岸見先生の解説を含めて、要点を私なりにまとめると、
このうち5.の目的論の考え方は、じつは行動分析学の基本原理である強化理論とけっこう共通しているところがある。強化理論というと、いっけん、「過去の強化のヒストリーが現在の行動を決定している」という原因論の典型であるように思われがちであるが、全くそうではない。もちろん、過去の経験は、行動リパートリの範囲や、習得性の好子や嫌子(強化子)や弁別刺激の種類や重みに多大な影響を与えてはいるが、いま起こっている行動は、あくまで「いま強化されている」から起こっているのであって、過去のヒストリーがいまを決めているわけではない。逆に、なかなか起こらない行動というのも、過去のトラウマなんぞが原因なのではなく、「いま、その行動が強化されていないから」もしくは「いま、その行動が弱化されているから」そうなっているに過ぎない。不登校のケースでも、過去のイジメが原因なのではなく、いま現在、登校する行動がうまく強化されていないこと、あるいは、引きこもるという回避的な行動が強化されていることに目を向けなければならない。 上記5.の「引きこもりの人は、不安だから外に出られないのではなく、外に出たくないから不安という感情を作りだしている。」という部分の「外に出たくないから」というのは、行動分析学的に言えば「外に出ないという回避的な行動が強化されているから」と言い換えることができるだろう。要するに、目的が先にあるのではない。強化されている状態に、後から「目的」という形で言語的な意味づけをしているに過ぎないのである。 このほか、行動分析的な立場から見ると、目的論的な考え方の基盤にはルール支配行動があり、ルール支配行動を理解するためには人間における言語行動の役割をしっかり抑えていく必要があるように思う【こちら(但し暫定リンク)に参考文献あり。】 次回に続く。 |