じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
時計台前のアメリカフウ(モミジバフウ)の新緑と、芝地のチチコグサの群生。チチコグサは芝地の一角が白く見えるほどに繁殖している。ウラジロチチコグサと思われるが未確認。 |
【思ったこと】 160502(月)トールネケ『関係フレーム理論(RFT)をまなぶ』(15)「考える」と人間の言語(1) 昨日の続き。今回から第2章“「考える」と人間の言語”に入る。 この章ではまず「考える」ことは記憶、身体の内部感覚、情動などを含めて、私的出来事に含まれることが指摘されている。そして、Skinnerによる本質的な問い「私たちはなぜ私的出来事について語るのか」(語ることの有用性や、語ることを可能にするプロセスなど)について考察が進められている。実は、このあたりのことは、紀要論文の下書きを兼ねて3月28日から4月5日頃に、『科学と人間行動』(Skinner,1953)第17章「自然科学における私的な出来事」に関連して詳しく述べたことがあり、ここでは重複は避けたいと思う。 第2章で挙げられている重要なポイントとしてはまず、 In Skinner s words, "It is only when a person s private world becomes important to others that it is made important to him" (Skinner, 1974, p.35). Expressed in a slightly more technical way, we learn to talk about the things each of us can observe in only ourselves because our social environment reinforces that type of behavior.がある。 もちろん、他者には内緒で思いを巡らし、誰にも見せないヒミツの日記に書き留めるということはあるだろう。しかしそれができるようになるためには、まず他者との言語的な交流を通して、まず諸現象を特定のカテゴリーに分け、それらに対応した呼称を使いこなすようになることが必要となる。時には今まで体験したことが全くない現象に遭遇するかもしれないが、その時には、過去に体験した類似の現象と比較して「こういうところは似ているが、もっと○○だ」というように表現することになる。このあたりのことは3月30日の日記で言及したことがあった。 私的な出来事としては、日常のちょっとした気分変化ばかりでなく、自分とは何かといった哲学的な課題も含まれる。上記の考え方を適用すると、おそらく、自分を語り尽くすということはおそらくできない。自分について語れるのは、自分という対象のうち自分が注意を向けている部分に限られているが、その部分とは、他者にとっても重要な部分のことを指しているのである。さらには、「世界について語る」というのも、その人が関わっている範囲の世界であって、その範囲の外まで語ることはできない。天国や地獄についての描写も同様。言葉であれ絵画であれ、現世のアナロジーでしか描くことはできないのである。 第2章では続いて、Skinnerの言語オペラントの説明が概観されている。言語行動を説明する際には、行動(Behavior)をはさんだ、先行事象(Antecedent)と結果(後続事象、Consequence)との対応関係が重要になってくる。ちなみに、いま増補改訂中の長谷川版・行動分析学入門では、杉山ほか(1998)を踏襲して「行動随伴性」を採用しているが、言語行動をより分かりやすく説明するためには3項随伴性(ABC分析)のほうが適しているようにも思える。とりわけ、タクト、エコーイック、イントラバーバルなどでは、先行事象との対応が重要になってくる。 次回に続く。 |