じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 5月17日朝のモーサテによれば、5月9日〜5月15日のビジネス書ランキング(紀伊国屋書店調べ)で、先週に引き続き、『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』が1位、2位を独占した。このほか「一流」モノも根強い人気。ランキングの過去記録は4月26日と、5月10日にあり。

2016年05月17日(火)


【思ったこと】
160517(火)トールネケ『関係フレーム理論(RFT)をまなぶ』(25)「考える」と臨床(1)「私的出来事」の扱いと実際

 今回から第3章、

Is the Power of Thinking a Clinically Relevant Issue? (「考える」ということが持っている力は,臨床に関連した問題なのか)

を取り上げることにしたい。

 第3章の冒頭では、「考える」ことの影響は明白であるように思われがちであるが、少なくとも2つ、注意すべき点があると指摘されている【原書49頁、翻訳書70頁】。
  1. The first is behavior analysis's own history, including questions concerning the power of thinking. (行動分析学そのものの歴史であり,それは「考える」ことの持つカに関する問いを含むものである。)
  2. The second is an ongoing debate within empirical psychotherapy research regarding whether strategies specifically for changing ways of thinking are an essential element in therapy. (「考える」仕方を具体的に変化させるための方略が,治療の中で本質的な要素かどうかに関して,実証的な心理療法の研究分野においで今も議論が続けられている,ということである。)

 このうち1.に関しては、私的出来事研究を完全に否定したWatsonと、私的出来事を研究対象に含むとしたSkinnerの違いが論じられている。ちなみに、Skinnerが「私的な出来事(private event)」を体系的に論じたのは、私の知る限りでは

●Skinner,B.F. (1945). The operational analysis of psychological terms. Psychological Review, 52, 270-277, 291-294.

が最初であったようである。このことについては3月27日の日記でその経緯に言及したことがあった。私的出来事を扱うかどうかというのは、研究対象の違いだけの問題ではない。どういう方法でそれに迫るのか、何を最終目的とするのかといった本質的な議論に発展していく。行き着くところは、機能的文脈主義やプラグマティズムに基づく真理基準という立場をとるのかとらないのかという議論である。もっとも、ここでいう議論というのも、何かについてシロかクロかといった決着をつけることが目的ではない。地動説か天動説かといった議論も、どちらの理論のほうがより天文現象をより簡潔に記述できるか、予測に適しているのかといった有効性に基づいて判断されることになる。【じっさい、天文関係の情報では「夏至とは太陽黄経が90度に達した瞬間」というように天動説的な表現が使われることがある】。

 元の話題に戻るが、人間が「考える動物」であることは自明のように思われがちであるが、少なくとも科学として扱うのであれば、分析対象としてそれをどう取り出していくのか、「考える」ことを扱うことが現実的な臨床的課題の解決にどういう点で有効であるのかを明らかにしていく必要がある。

 この点に関して、トールネケは、
The question of how this understanding impacts our work to influence behavior has not, however, been quite as clearly answered. Behavior analysis's focus on external variables to explain behavior has often led to viewing phenomena such as thoughts and feelings as a kind of by-product, without any decisive significance for working toward changing behavior. There is an intrinsic tension within behavior analysis between its affirmation of the validity of private events, on one hand, and the tendency to disregard them in practice, on the other. 【50頁】
しかしながら,この理解が行動に影響を及ぼす私たちの取り組みにどのように効果を及ぽすのか,という問いには,それほど明確に答えられてきていない。また,行動を説明するための外的な変数に対する行動分析家の焦点は,しばしば,思考や気持ちなどといった現象を,行動変容を目的とした取り組みにおいて決定的む重要性はなく,一種の副産物である,と見なしてきた。行動分析学の中には,一方でその私的出来事の妥当性を肯定していることと,他方でそれらを実践において無視する傾向にあることの間に,内包的な緊張関係がある。【翻訳書71頁】
としている。じっさい「私的出来事」を研究対象としていますと言っているわりにはそれらが主人公になることは少なく、むしろ、人間や動物の一般法則の探究に力を注いできた点は否めない。

 次回に続く。