じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 5月31日は世界禁煙デー、 また5月31日(火)〜6月6日(月)は禁煙週間となっており、各地で健康を守る取り組みが行われている。もっとも、こちらの日誌に記しているように、なぜか禁煙週間に入ってから、敷地内全面禁煙の岡大構内での喫煙行為を目撃する頻度が増えている。全体的には喫煙率は低下しており全面禁煙措置は着実に成果を上げているが、現時点でもなお敷地内での隠れ喫煙を止められない人たちは、ニコチンに操られている強度の依存者であり、地道できめ細かい働きかけの積み重ねと、更なる禁煙サポートが必要と思われる。

2016年06月2日(木)


【思ったこと】
160602(木)トールネケ『関係フレーム理論(RFT)をまなぶ』(37)派生的関係反応(9)刺激機能とレスポンデント学習およびオペラント学習による変化(1)

 昨日の日記の続き。

 原書69頁(翻訳書96頁)以降の、

●STIMULUS FUNCTIONS AND THEIR ALTERATION THROUGH RESPONDENT AND OPERANT LEARNING(刺激機能とレスポンデント学習およびオペラント学習による変化)

及びそのあとに続く節は、徹底的行動主義あるいは関係フレーム理論を理解する上で本質的に重要と思われる点が記されている。この部分をいい加減に読み飛ばしてしまい、応用編の技法のみに関心を向けてしまったのでは、せっかく学んだことが砂上の楼閣になってしまうように思う。

 まず、1つ前の節「Derived Relational Responding as Learned Behavior(派生的関係反応一学習された行動として)」のところで、派生的関係反応に関して、
  • どうしたら派生的関係反応に影響を及ぼすことができるか
  • これらの反応(すなわち人間の言語)がどのようにして人間のほかの行動と相互作用し,影響を与えるのかについて,理解を改めなければならない。
  • さらに,私たちは,何がこの種の関係づけを制御するのか,あるいは支配するのかを理解する必要もある。
  • ここまでは,興味深そうな現象について,簡単に説明したにすぎない。それでは,いったい,私たちの行為を及ぼす力は,どこに存在するのだろうか?
という問いが投げかけられている。1つ前の刺激等価性クラスの話題もそうだが、単に、こういう面白い現象が確認されています、という実験的事実の確認とそのアナロジーだけでは有効な理論にはならない。いかにしてそれが働くのか、どこに起点があるのかを明らかにしていく必要がある。

 さて、当該章においては、刺激機能とは何かについてやや詳しい説明がある。冒頭の、
A certain stimulus or event has a function for a certain organisms behavior when the behavior occurs in relation to, or under the influence of, this stimulus. When I see a car, this car has a function for my vision; it influences the fact that I see what I see.
ある刺激に対して行動が生じる,あるいはある刺激の影響下で行動が生じる場合,その刺激や出来事はその生体の行動に対して機能を有している。私が車を目にするとき,この車は, 私の視覚に対して機能を有している。
という表現で注意しなければならないのは、機能を持つとされた刺激自体のエネルギーや化学成分は全く変わらないという点である。「車が私の視覚に対して機能を有する」といっても、その車自体に新たな装備が付け加わったわけではない。刺激が「機能を有していない」状態から「機能を有する」状態に変化したというのは、実際にはその刺激に関わる個体側の経験に依拠しており、おそらくその個体の脳の中に何らかの変容が生じたことを示唆している。とはいえ、徹底的行動主義の立場から言えば、条件づけによる変容はあくまで外の世界の機能の変容として記述される。もちろん、脳科学の発展により脳内メカニズムが相当程度解明されれば、刺激機能の変容という言葉で表現されていたメカニズムの一部は、脳内の現象と対応づけて記述できるであろう。そのような将来的な展望は持ちつつも、仮説構成体のようなフィクションに委ねることは決してしないというのが徹底的行動主義の立場である。何らかの仮説構成体(媒介的な機構)を推測するほうがよいのかどうかは、それぞれの理論がどの程度の予測力、影響力を持つか、どの程度シンプルでかつ適用範囲が広いのかといった有効性によって判断される。仮説構成体を用いた説明のほうが簡潔で多くの人を納得させる力を持つこともあるように見えるが、反面、後から出てきた新事実によってモデルの改訂を繰り返し、あげくのはてには元のモデルを根底からひっくり返してしまうこともあり、長大な時間とエネルギーを費やす恐れもある。その点、「刺激の機能」という言葉で検討を重ねるアプローチは、新たな実験的事実が次々と発見されていったとしても根底から覆されることはない。

 以上と同じような議論は、当該章でも以下のように記されている。
My point here is to emphasize that the function of a stimulus is not an inherently given quality of the stimulus. Its function can be determined only through an analysis of the wider situation (the context) and the individuals response. Ihe same stimulus can have different stimulus functions. It can affect the behavior of an organism in different ways. The effect depends first on which organism is involved, as this specific organisms learning history is included, and second on the context in which the stimulus occurs. 【原書70頁】
ここで強調したい点は,刺激が有する機能とは,刺激に本質的に備えられた性質ではない,ということである。その機能は,より幅広い状況(文脈)と個人の反応についての分析を通じてしか,決定することができない。同じ刺激でも,異なる刺激機能を有することも可能である。同じ刺激が,生体の行動に対して,さまぎまな仕方で影響を与え得る。その効果は,第一に,どの生体がかかわっているのかによって決まる。これは,その生体の固有の学習履歴が影響するためである。そして,第二に,刺激が生じたその文脈によって決まる。【翻訳書97頁】
 要するに、「刺激の機能」の変容が実質的には脳内の変容に対応していたとしても、脳内の神経生理学的な変化だけでは捉えることができない。いっぽう、個体の学習履歴や刺激の生じた文脈を把握できれば、その刺激が、いつ、どこで、誰に対して、そのように機能するのかを完璧に予測・制御することができるはずである。

 このことに関して私がよく例に挙げるのが、「箸が転んで笑う」という現象である。ある人が実際に、箸が転んだ時に笑ったとする。その際には当然、脳内にも変化が生じているはずである。しかし、脳内の変化をいかに精密に分析したところで、なぜ箸が転んだ時に笑ったのかということは説明できない。いっぽう、「箸が転ぶ」が「笑いを引き起こす機能を獲得している」という徹底的行動主義的な表現の場合、箸自体やその動き自体には笑いをもたらすエネルギーや化学成分はいっさい含まれていない。実際に分析するのは、笑った人の学習履歴と、笑いが生じる文脈である。それが把握できれば、その人がどういう状況で笑うのか(=予測)、どうすればもっと笑わせることができるのか(=制御・影響)の解明につながる。

 次回に続く。