じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 気象庁によると、7月3日午前9時、西太平洋のカロリン諸島近海にあった熱帯低気圧が台風1号になった。台風1号の7月3日発生は、1951年以来の統計では1998年の7月9日の続く過去2番目に遅い記録。また、台風無発生期間4776時間は過去1位タイであった。

 画像は7月4日18時時点での台風1号の進路予想。デジタル台風には、気象庁の公式予想と、米軍合同台風警報センターの予想がリンクされており、時たま、進路予想が大きく食い違うことがある。このほかこちらには、各国の台風進路予想もまとめられている。

 今年から、気象庁では台風進路予報の改善がなされ、予報円の半径を約20〜40%小さくすることが可能となりまた、暴風警戒域についてもより絞り込んだ予報が可能になったという。今回、この改善がどのような精度向上につながるか、注視していきたい。

2016年07月04日(月)


【思ったこと】
160704(日)トールネケ『関係フレーム理論(RFT)をまなぶ』(60)派生的関係反応(32)関係フレームづけ(6)

 7月3日の続き。

 原書84〜85頁(翻訳書118頁)では、言語の基本的な性質として一貫性がなければならないという点が指摘されている。
  • A fundamental quality of human languaging is that it must be coherent. We cannot switch words, meanings, or grammatical rules in an arbitrary way. Although the system is arbitrary at its base, once it is established we have to play by the rules. You may be able to break the rules in moderation, but all in all the system's tolerance for this is negligible.
    人間の言語の基本的な性質のひとつは,一貫性がなければならないということである。私たちは,単語,意味,あるいは文法の規則を,恣意的な方法で入れ替えることはできない。システムはおおもとでは恣意的ではあるが,ひとたび規則が確立されると,私たちはそれに従わなければならない。ほどほどになら規則を破ることもできるかもしれないが,システム全体としては,そのようなことへの寛容性はほとんど持たない。
  • If meaning is to be conveyed, the structure of sentences cannot be changed in an arbitrary way. Coherence is thus built into human language. Provided that languaging (relational framing) is reinforced from an early age, coherence is thereby also reinforced. There are many reasons for the social environment to reinforce coherence specifically as part of language training. As a result, coherence, or the experience of things being logically consistent, becomes a generalized reinforcer for verbally competent human beings.
    意味を伝えるためには,文章の構造を恣意的に変えることはできない。このようにして,一貫性が,人間の言語に組み込まれている。言語を操ること(関係フレームづけ)が幼いころから強化されるので,ー貫性もやはり幼少のころから強化される。社会的環境にとって,一貫性を特に言語訓練のー部としで強化する理由は,たくさんある。その結果,一貫性,あるいは物事が論理的に一貫していることの経験は,言語的に有能な人間にとっては,般性強化子になる。
 ここで論じられていることは、ある言語における意味や文法規則は絶対的に正しいとか間違っているとかいうものではなく、あくまで恣意的に作られたシステムであるということ、しかしながら、それが言語コミュニティの中で使用されるようになると、意味内容は一定の範囲で固定され、文法規則に従って使用されるようになるという点である。じっさい、種々の言語においては、SVOかSOVかというように語順が異なる場合があるし、1つの名詞が指し示す対象の範囲も微妙にずれていることがある。

 ここで少々脱線するが、RFTでいう「相互的内包」についてもう少しだけ考えておくことにしたい。これまでの実験研究では主として「A→B」という見本合わせ課題が行われてきた。言語的に表現すれば、これは「AならばB」あるいは「Aの時はB」という関係であり、「AとBは同一である」という意味ではない。

 英語の「A is B.」あるいは日本語の「AはBである」というのも、同一という意味ではなく、「AはBに含まれている」、あるいは「AはBにとって十分な存在である」という一般的な表現として使用されている。例えば、「人間は動物である」は真であるが、「人間は動物と同一である」は偽である。

 多くの言語において、なぜ、「同一である(identical to、equal to、...)」ではなく「AはBに含まれている」を意味する「AはBである」が基本動詞として多用されるようになったのかは、大きな謎である。おそらく言語学ではすでに解明されているとは思うが、私なりに考える理由は以下の通り。
  • 「同一である」というのは、しょせん、特定の機能に関して「同一」という意味であって、何から何まで一致していて区別がつかないという意味で用いられることはきわめて稀である。
  • 何から何まで一致しているということを表明するためには周到な検証が必要であり、日常会話表現にはなじまない。
  • 「AはB」であるというのは、Aに注意を向けた上で、Aを特徴づける情報の1つとして「Bに含まれている」と表現しており、Aを関心対象としている聞き手にとっては最も有用な情報となる。この場合、Aは同時に別の形でも特徴づけ可能であり、「AはBである」という表明によって、「AはCである」の真偽が影響を受けることはない。

 このように、言語表現では「AはBである」が基本となっており、相互的内包に相当する表現はむしろ応用表現ではないかと思われる。なぜ「一方通行の内包」ではなく「相互的内包」なのか、については、さらに検討が必要であるようにも思われる。

 次回に続く。