【思ったこと】 160717(日)トールネケ『関係フレーム理論(RFT)をまなぶ』(70)アナロジー、メタファー、そして自己の体験(6)メタファーはどこにてもある
7月14日の続き。
原書99頁(翻訳書137頁以降)には「メタファーはどこにてもある(Metaphors Are Everywhere)」という興味深い節がある。メタファーは「○○するのは△△するようなものだ(To ○○ is to be △△) 」、あるいは「AがBであるのは、CがDであるようなものだ」というようにベースとターゲットを明示して表現されるばかりではなく、日常会話のありとあらゆる表現に「織り込まれている(woven into)」と論じられていた。
じっさい、小説、歌詞、政治家の演説などなど、さまざまな場面ではメタファーが効果的に使用されている。詩的な表現は、客観的描写以上に現場の雰囲気をリアルに伝えてくれることがある。
以下は、シャーロックホームズの最終作「隠居絵具師」の一節であり、ホームズの依頼を受けたワトソンの現場報告である。ワトソンはメタファーにより現地の雰囲気を伝えようとしているのに対して、ホームズは事件に無関係の情報はカットせよと言っているところが面白い。
"The Haven is the name of Mr. Josiah Amberley's house," I explained. "I think it would interest you, Holmes. It is like some penurious patrician who has sunk into the company of his inferiors. You know that particular quarter, the monotonous brick streets, the weary suburban highways. Right in the middle of them, a little island of ancient culture and comfort, lies this old home, surrounded by a high sun-baked wall mottled with lichens and topped with moss, the sort of wall--"
"Cut out the poetry, Watson," said Holmes severely. "I note that it was a high brick wall."【原文の出典はこちら】
「ジョサイア・アンバレーの家の名前はザ・ヘイブンだ」私は説明した。「君も興味を持つと思うよ、ホームズ。あたかも窮乏して下層社会に身を落とした貴族みたいに見えた。あの一角は知っているだろう。退屈な郊外の幹線道路沿いの、単調なレンガ造りの家が並ぶ通りだ。その真っ只中に、古代の文化と快適さがぽつんと島になったように、この古い家がある。高い日干し煉瓦の塀に囲まれて、所々地衣類が生え、上は苔で覆われている。この塀は、あたかも・・・」
「詩情は省略してくれ、ワトソン」ホームズが厳しく言った。「要するに高い煉瓦塀ということだな」【翻訳の出典はこちら。
不思議の国のアリスのお茶会場面には、有名な
The Hatter opened his eyes very wide on hearing this; but all he said was, 'Why is a raven like a writing-desk?'
'Come, we shall have some fun now!' thought Alice. 'I'm glad they've begun asking riddles.?I believe I can guess that,' she added aloud.
'Do you mean that you think you can find out the answer to it?' said the March Hare.
'Exactly so,' said Alice.
'Then you should say what you mean,' the March Hare went on.
'I do,' Alice hastily replied; 'at least?at least I mean what I say? that's the same thing, you know.'
'Not the same thing a bit!' said the Hatter. 'You might just as well say that "I see what I eat" is the same thing as "I eat what I see"!'
'You might just as well say,' added the March Hare, 'that "I like what I get" is the same thing as "I get what I like"!'
'You might just as well say,' added the Dormouse, who seemed to be talking in his sleep, 'that "I breathe when I sleep" is the same thing as "I sleep when I breathe"!'
【出典はこちら】
帽子屋さんは、これをきいて目だまをぎょろりとむきました。が、言ったのはこれだけでした。「大ガラスが書きものづくえと似ているのはなーぜだ?」
「わーい、これでおもしろくなるぞ! なぞなぞをはじめてくれてうれしいな」とアリスは思いました。そして「それならわかると思う」と声に出してつけくわえました。
「つまり、そのこたえがわかると思うって意味?」と三月うさぎ。
「そのとおり」とアリス。
「そんなら、意味どおりのことを言えよ」と三月うさぎはつづけます。
「言ってるわよ」アリスはすぐこたえました。「すくなくとも――すくなくとも、言ったとおりのことは意味してるわ――同じことでしょ」
「なにが同じなもんか」と帽子屋さん。「それじゃあ『見たものを食べる』ってのと『食べるものを見る』ってのが同じことだと言ってるみたいなもんだ」
三月うさぎも追加します。「『もらえるものは好きだ』ってのと『好きなものがもらえる』ってのが同じだ、みたいな!」
ヤマネもつけくわえましたが、まるでねごとみたいです。「それって、『ねるときにいきをする』と『いきをするときにねる』が同じだ、みたいな!」
【出典は">こちら。】
上掲の不思議の国のアリスにはは、相互的内包に関連しそうな重要な記述があるほか、有名な「Why is a raven like a writing-desk?」というなぞなぞがある。もっとも、これが、メタファーとして利用可能なのか、一般的なアナロジーの部類に属するのか、あるいは、単に共通性を探す思考パズルなのかは定かではない。
こちらやこちらにはさまざまな解答が紹介されていて、まことに興味深い。このほか、Uncyclopediaにもこちらや、こちらに興味深い記述がある。
なお、日本の和歌や俳句でもメタファーはさまざまな形で活用されている。古典文学の知識が全く無いので、あくまで孫引きになるが、こちらによれば、例えば「ぬばたまの 夜」というときの枕詞「ぬばたまの」は暗喩、「しきしまの 大和」というときの「しきしま」は換喩に相当するという。このほか、ネットで検索したところ、こちらに、日本語散文における暗喩の使い方について興味深い解説があった。
次回に続く。
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