じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 各種の百合の中でも最も開花が遅い品種の1つであるタカサゴユリが花を開き始めた。

2016年07月25日(月)



【思ったこと】
160725(月)トールネケ『関係フレーム理論(RFT)をまなぶ』(75)アナロジー、メタファー、そして自己の体験(11)自己を経験すること−視点取りの結果(4)視点の理解と人称

 7月24日の続き。

 昨日も述べたように、RFTでは、「わたし/あなた」、「ここ/あそこ」、「そして,今/あのとき」という3つの関係が基本とされる。

 本書でも強調されているように、他者との日常会話の中では、個人は常に「私が−今−ここで」の視点から答える。「私が−今−ここで」以外の視点は直接経験されたものではなく、それ以外の視点に関係づけるという学習を通じて身につけられたものである。要するに、
The ability to see perspectives other than one's own is verbally established; that is, it is learned through arbitrarily applicable relational responding. The types of questions listed above will be asked, and answered, on countless occasions. As the child learns to abstract the different perspectives, these perspectives will then become arbitrarily applicable through the contextual cues that different words become. Words like "there," "you," "he," "she," "they," "then," and "yesterday" will cue derived stimulus functions that are brought in from perspectives other than that of the child himself. Nothing is literally brought in, of course. All of this emerges as a result of the transformation of functions. As this happens, we appear to contact a perspective other than our own due to having learned to fit experiences into relations: I/you, here/there, and now/then. 【原書104頁】
自分自身のもの以外の視点を理解する能力は,言語的に確立される。それは,つまり,恣意的に適用可能な関係反応を通じて学習される。先に列挙した類の質問は,無数の機会に,質問され,そして答えられる。子どもがさまざまな視点を抽出することを学ぶにつれて,それらの視点は,さまざまな言葉がその役割を担うようになる文脈手がかりを通じて,恣意的に適用可能となる。「あそこ」,「あなた」,「彼」,「彼女」, 「彼ら」,「そのとき」,そして「昨日」などといった言葉が,子ども自身のものとは違った視点からもたらされる派生的刺激機能の合図となる。もちろん,文字どおりにもたらされるものは何もない。これらは,すべて,機能の変換の結果として現れる。このようなことが起こるにつれて,経験を関係 − わたし/あなた,今/あのとき,ここ/あそこの中に当てはめることを学んだ結果として,私たちは,自分のもの以外の視点と接触するようになるようである。【翻訳書145頁】
 このあたりの記述に関して素朴な疑問として浮かんでくるのは、1つは、7月24日にも述べた「私たち」という一人称複数の視点の獲得がどのようにしてなされるのかという点であるが、ここではもう1つ、他者の視点を理解する能力が本当に「わたし/あなた」の区別を基本としているのかどうかという疑問を挙げておくことにしたい。

 「わたし/あなた」という区別は、ふつう、他者との一対一の交流を通じて獲得される。多くの場合は、親子、きょうだい、地域、幼稚園・保育園などでの交流がその基本となるであろう。但し、幼児向けのテレビ番組などは、双方向性の無いため、むしろ、「わたし」と「彼、彼女、それ」といった、一人称と三人称との区別に寄与すると考えられる。要するに、「わたし/あなた」という区別は、自分に対して「あなたは?」と尋ねられたり、また自分から「あなたは?」といった質問を発したりするなかで初めて獲得されるものであるが、幼児期にそのようなやりとりが発達の中でどれだけ重みを持っているのかは定かではない。また、一対一の双方向のやりとりでは、まずは「○○をちょうだい」、「○○してください」といったマンドや、「○○しなさい」といった指示・命令が多く交わされる。「わたし/あなた」に関するタクトが、一対一の双方向のやりとりの中でどれだけ重みを持っているのかも確認しておく必要があるだろう。

 ところで、「わたし」、「あなた」、「彼・彼女・それ」は、それぞれ、一人称、二人称、三人称表現に対応している。人称というのは、「動作の主体が話し手・聞き手・第三者のいずれであるかの区別。」【大辞泉】」と定義されているが、我々が通常何かを語る時には三人称表現が主体となる。もし一人称で語ることがあるとすれば、文章の主語は原則として「私は...」で記述されなければならない。これは私的な日記、感想文、要望書などで使われる。また、二人称で語ることがあるとすれば、これは「あなたは...」という主語で記述される。これは、相手に宛てた手紙の文章である。しかし、話題が一人称や二人称にまつわる諸事象であっても、それを第三者的に語ろうとした瞬間、それは三人称の記述になってしまう。そういう意味では、「一人称の科学」というのはなかなか難しいと思うのだが、心理学のいくつかの領域では「一人称の科学」が論じられており、また最近では一人称研究のすすめ: 知能研究の新しい潮流という書籍も刊行されており、人称を考慮した論考が注目を浴びるようになっている。別の機会にこの問題をとりあげることにしたい。

 次回に続く。