じぶん更新日記

1997年5月6日開設
Copyright(C)長谷川芳典



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 7月26日の岡山は、12時台に2ミリ、16時台から17時台に6ミリ、合計8ミリの俄雨が降った。場所によっては大雨警報が出るほどであったが、7月18日の梅雨明け以来まとまった雨の降っていなかった岡山では恵みの雨となった。

2016年07月26日(火)



【思ったこと】
160726(火)トールネケ『関係フレーム理論(RFT)をまなぶ』(76)アナロジー、メタファー、そして自己の体験(12)自己を経験すること−視点取りの結果(5)「いま、ここで」の範囲

 昨日のところでは、
As this happens, we appear to contact a perspective other than our own due to having learned to fit experiences into relations: I/you, here/there, and now/then. 【原書104頁】
このようなことが起こるにつれて,経験を関係 − わたし/あなた,今/あのとき,ここ/あそこの中に当てはめることを学んだ結果として,私たちは,自分のもの以外の視点と接触するようになるようである。【翻訳書145頁】
というプロセスで、他者の視点を獲得することができると引用した。しかし、この段落ではその直後に、
This contact is illusory - we can never take another person's perspective in the way that we take our own. At best, we can imagine another person's perspective. We can also imagine ourselves as if we had another perspective: I-there-then. But wherever we go, no individual can ever actually get to you, there, or then.
このような接触は錯覚的なものである − 私たちは,自分自身の視点を取るのと同じ仕方で,ほかの人の視点を取ることは決してできない。よくても,別な人の視点を想像できるだけである。私たちは,別な視点を持っているかのように,自分自身について想像してみることもできるすなわち,「私が−そのとき−あそこで」というように。でも,私たちがどこへ行ったとしても,いかなる個人も,実際には決して,あなたが,そのときに,あそこで,の地点に立つことはできない。
と続いている。この「私が、いま、ここで」、「We humans always live in a psychological now. 私たち人間は,常に,心理的な今を生きている。」という考え方については、

Hayes, L. J. (1992). The psychological present. Behavior Analyst, 15, 139-145.

が引用されており、こちらから無料で閲覧することができる。ちなみに、この論文の著者は、スティーブン・C・ヘイズではなく、リンダ・ヘイズ先生(こちらに紹介あり)。ある時期はご夫婦であったはずだが、その後離婚されたようである。離婚や再婚の多いアメリカでの話、詳しい経緯は分からない。

 もとの話題に戻るが、私たちが常に「私が、いま、ここで」という世界に生きていることは確かであろうとは思う。しかし、「私が、いま、ここで」を同時進行的にタクトすることができるかどうかは不明。これはちょうど、旅行番組で、旅行者役をつとめるタレントさんが、マイクを持ちながら現場を移動し、その時の気持ちやあたりの景色、これからの予定などを報告するようなもので、訓練なし聞き手に伝えるのはなかなか難しい。

 また、我々は、「位置だけを持ち、長さ・面積・体積をもたない図形」としてのを認識できないのと同様、時間軸上の「点」としての「いまこの瞬間」を認識することはできない。「○○の瞬間」というのは、一定の継続[持続]期間(duration)を持ち、かつ、直前や直後と関連づけられた流れの中でしかそれを表明することができない。

 また、少なくとも「いま、ここで、何をしているのか?」というように行動に言及する時は、当然、その行動は継続時間を必要とする。私がよく例に挙げているように「ピアノを弾く」という行動は、1つの鍵盤を叩くことではなく、メロディーを奏でてこそ初めて行動として認定されるものである。

 ということで、我々が、「いま」というのは、「点」としての瞬間ではなく、ある程度の時間的な幅を必要としている。その範囲をどこまで広げるのかもしっかりと議論する必要がある。

 同様に「ここ」についても、ある程度の広がりを想定する必要があるだろう。大辞泉によれば、日本語の「ここ」には、少なくとも、
  1. 話し手が現にいる場所をさす。「私の生家はここからそう遠くはない」
  2. 話し手や周囲の人が現に置かれている状況や程度、または局面をさす。「こと(事)ここに至ってはもう手の打ちようがない」「ここまで言っても、まだ分かってくれないのか」
という2つの意味がある。このうち2.意味は物理的空間としての「ここ」以外の意味を含んでいる。

 次回に続く。