じぶん更新日記1997年5月6日開設Copyright(C)長谷川芳典 |
日曜日、津高のホームセンターまで買物に行ったところ、近隣のイズミヤ津高店が完全閉店していることに気づいた。ネットで検索したところ、こちらに関連記事があり、8月21日に閉店、2017年3月ごろを目処に広島県福山市に本社を置く地場有力スーパー「エブリイホーミイHD」が新たな商業施設を開設するとのことである。 津高方面の店は滅多に寄らないが、食品関係はディオ、ハローズ、グランドマート、日用品雑貨類はダイキやジュンテンドーで間に合っており、イズミヤの店舗内にはここ10年以上足を踏み入れたことさえ無かった。閉店に追い込まれた事情も分からないわけでもない。 ちなみに大学・大学院時代にイズミヤ・高野店が開店し、何度か利用したことがあった。岡山に引っ越した当時、津高に同じイズミヤがあるのを知り、懐かしく感じたものである。 店内BGM「明日へ吹く風」(※)は歌詞もメロディーも本当にいい歌だと思う。 [※]当時は「買いに来た甲斐があった」という別の曲も流れていたと思うが、「しあわせくるくる」という最近の曲は失礼ながら全く聴いたことがなかった。 |
【思ったこと】 160925(日)トールネケ『関係フレーム理論(RFT)をまなぶ』(115)アナロジー、メタファー、そして自己の体験(52)「般化オペラント」についての復習(35)RFTからみた般化オペラント(7) 昨日の続き。 「般化オペラント」は反応般化を対象とするものであるが、本当に反応般化の枠組みの中で議論するべきであるのか、もしかすると刺激般化の理論を拡張する中で議論したほうがよいのではないか、という点について吟味する必要がある。 まず一般的な「刺激般化」との関係について考えてみることにしたい。 『最新心理学事典』の定義を再度引用すると、刺激般化というのは、「ある特定の刺激のもとで反応が強化されたために,他の刺激のもとでもその反応が増大すること」である。例えば、反応キーのが青色に照明された時にキーを押せば強化される一方、黄色に照明された時にキーを押しても強化されたなかったとする(青と黄を手がかりとした弁別行動)。この場合、キーが黄色及びそれに近い色が照明された時には反応が起こりにくくなる一方、青色およびそれに近い青緑色や水色に照明された時には反応が増大するであろう。青緑色や水色を弁別刺激とするような訓練は一度も受けていないにもかかわらず反応が増大したとしたらこれは刺激般化ということになる。通常、どの程度反応が増加するかは色の波長の連続的な近接性に依存しており、般化勾配(メイザー, 2008,223頁以降参照)が描かれる。それゆえ、青で反応が増大、黄色で反応が起こらないという状況のもとでは、青からみて黄色よりさらに波長が異なる赤色の刺激に般化することはありえない。ここで重要なことは、刺激における般化は、普通、機能的定義ではなく、刺激の物理的次元に依拠して定義されている点である。これは、反応般化で言えば、形態的特性に基づく定義と同様であると言うことができるだろう。 次に、Sidmanらによる刺激等価性クラス(Stimulus equivalence class)に関する一連の研究(Sidman, 1971; 1990;Sidman & Tailby, 1982ほか)について考えてみよう。ヒトを対象とした刺激等価性クラスの実験では、
これらの実験では、A、B、Cといったはすべて弁別刺激として機能する。刺激等価性というときの「等価」とは「未訓練の刺激が等価の機能を有するようになる」という意味であり、この限りにおいては、一般的な刺激般化の現象と同様、刺激の機能についての理論と言えないこともない。しかし、刺激等価性の場合、A、B、Cといった刺激は恣意的に設定されたものであり、物理的な次元での類似性は必要とされていない。それゆえ、刺激等価性クラスという現象は、刺激次元の機能ではなく、どの刺激を選ぶかといった刺激と反応をセットにした現象として捉える必要がある。この意味では、呼称としては「刺激」が冠せられているものの、刺激等価性クラスは般化オペラントの現象に分類することができるだろう 次回に続く。 |