【思ったこと】 160926(月)トールネケ『関係フレーム理論(RFT)をまなぶ』(116)アナロジー、メタファー、そして自己の体験(53)「般化オペラント」についての復習(36)RFTからみた般化オペラント(8)
昨日も述べたように、「般化オペラント」は反応般化を対象とするものであるが、本当に反応般化の枠組みの中で議論するべきであるのか、もしかすると刺激般化の理論を拡張する中で議論したほうがよいのではないか、という点について吟味する必要がある。一般的な刺激般化、刺激等価性に続いて、関係フレームに関してこの問題を考えてみることにしたい。この問題は、この連載のもとの対象となっているTorneke(2010、翻訳書2013)の第4章で詳しく説明されている。
まず、用語を整理する目的で以下の2点を引用させていただく。
- 関係フレームづけは般化オペラント行動に含まれる。私たちが、物事をさまざまな種類の関係(反対、比較、空間的、時間的など)でフレームづけすると語るとき、「関係フレーム」という用語はメタファーである。それは、フレームというものが、何でも含めることができるということを引き合いに出したものである。この用語は、関係フレームが精神的な対象物として存在するということを意味するのではない。関係フレームは、人々がさまぎまな種類の関係のなかに物事を位置づけることができることを表現するための方法である。つまり、私たちは、物事をフレームの中に当てはめるのである。明らかに、当てはめるというのも、メタファーである。この関係づけは、関係づけられる刺激のいかなる形態的、あるいは物理的な性質にも基づかない。むしろ、これらの関係は、人間の行動の特有の現れの結果としてもたらされるものであり、それは文脈手がかりによって支配されでいる。関係フレームづけは、人間が人生のごく初期に、オペラント条件づけを通じて学ぶ行動であり、すでに言及した3つの現象(相互的内包、複合的相互的内包、確立された関係に応じて生じる刺激機能の変換)によって特徴づけられる。【翻訳書117頁】
- 「恣意的に適用可能な関係反応」と「関係フレームづけ」は、同義語である。同じように同義の用語は、本章の章題にも使われている「派生的関係反応」である。人間にとって、この行動は、学習の可能性を決定的な仕方で変える。つまり、それは、刺激機能が刺激間の非恣意的関係、あるいは随伴性によってのみ決まるものであった場合には不可能な仕方で、刺激機能を操作することを可能にする。ひとたび派生的関係反応が学習されて示されると、刺激機能は、これらの反応を通じて、瞬時に変わり得る。弱化的だったものが強化的になることができ、その逆もまた可能となる。【翻訳書124頁】
要するに、RFTでは「関係フレームづけ」、「派生的関係反応」、「恣意的に適用可能な関係反応」というのは同義であり、いずれも刺激レベルの般化ではなく、般化オペラントの枠組みで議論されていることが分かる。昨日取り上げた一般的な刺激般化においても、実際にはレスポンデント反応(特定の刺激に対してレスポンデント条件づけすると、よく似た刺激に対しても条件反応が生じる)やオペラント(特定の刺激を弁別刺激とするオペラント条件づけをすると、よく似た刺激に対しても同じような反応が生じる)が関与している。但し、種々の条件で反応の起こり方を調べてみると、そこで描かれる般化勾配はよく似ており、認知的に言えば「どれだけ似ているように見えるか」という刺激レベルで記述したほうがシンプルである可能性がある。いっぽう、関係反応の場合は、複数の刺激の関係に対する反応となるため、1つの刺激だけを取り出して刺激機能を論じることはできない。刺激の関係とそれに対する反応をセットにして初めて議論する必要があるため、反応レベルの枠組みで捉える必要が出てくると考えられる。
次回に続く。
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